(予告) 21世紀という大海の荒波を泳ぎ切る高等教育像を探る
(前奏)見落とされている習性を検証する<前半>
はじめに
1 昭和史で充分に明らかにされていない二つの過程
2 行政の過剰介入というテクニカルな共通面
(前奏)見落とされている習性を検証する<後半>
3 近現代日本における教育制度改変の三つの節目
(1) 西欧衝撃の吸収という近代教育
(2) 占領による近代教育の否定と再検討の現在
(3) 共通要因としての外圧による制度改変
4 拓殖大学百年史編纂の取り組み
(1) KKJセミナーでの報告
(2) 事例研究としての昭和時代における文部省の行政指導
5 昭和時代における文部行政のもつ健気な胡散臭さ
おわりに 21世紀の日本が生き残るための高等教育
第一稿
占領下における教職“追放”(教職員適格審査)
〜文部省の自己総括と大学の適応過程の検証〜
<解題> 占領下における教職“追放”(教職員適格審査)
はじめに/高等教育機関における占領7年史の位置づけ
1節 占領という期間の意味するもの
2節 占領政策への適応過程としての教職員適格審査
3節 大学史での教職員適格審査の扱われ方の意味するもの
一部 大学の校史記述に見る占領下の教職“追放”
はじめに
1章 官学は校史をどのように記述しているか
2章 官学と比較すると比較的に余裕のあったはずの私学は
1節 一般私学の場合
2節 ミッション系の場合
3節 仏教・神道系等の場合
4節 国策協力型の大学の場合
3章 「占領と大学史」記録は再吟味が必要
1節「占領と大学史」には180度違う史観が横行している
2節 占領という史実の受け止め方に見られる認識力の劣化
二部 占領下・教育改革の実態を解明する一つの視点
本稿で扱う資料について
1節 戦時と占領中における原資料の制約条件
(1) オーラル・ヒストリーの危うさ
(2) 基本資料の足りなさを補うもの
2節 【教職員適格審査関係書類綴】
(1) 貴重な資料の発見と内容
(2) 記録保存の仕方にみる制約
問題の所在
1節 戦後はいつから始まるのか
(1) 8月15日か降伏調印署名の9月2日か
(2) 8月15日から9月2日までの間に起きたこと
(3) 戦争が終ったのは1952年4月28日の講和条約発効
2節 適格審査の拡充と精緻化を推進したもの
(1) 占領政策における作為と,擬制しての日本解放
(2) 間接統治の担い手としての官庁
(3) GHQ・CIEの下請けとしての文部省
1章 「物的な武装解除」から「精神的な武装解除」へ
1節 精神的な武装解除の初期における国際的な枠組み
(1) 「精神的な武装解除」を推進する期間としての占領中
(2) 精神的武装解除を国際的に公式化する文書群
2節 公職・教職追放とは何か
(1) ポツダム宣言にある公職・教職追放の根拠
(2) GHQ命令を裏書した勅令
3節 教職追放の一般的な経緯
(1) GHQの主導による4つの法令
(2) 4つの法令に関わる2つの先行指令
4節 公職・教職追放を支えた法令等の環境
――過去の断罪と未来の調教まで
(1) 「言論の自由」の背後にあった2つの制約条件
(2) 調教の構造と力学
5節 事例/東京「帝国大学新聞」の報道に見る粛学
(1) GHQの方針と一体になっていることに違和感がない
(2) GHQ権力を背後に置いた擬似「人民裁判」
(3) 粛学は近代日本の軌跡を全否定するところに成立
2章 教職“追放”の制度的な展開と自己総括
1節 “追放”の先行事例としての立教学院の場合
(1) 事態の性質は最初の現象に露呈される
(2) 超法規的な措置のその後
2節 文部大臣官房適格審査室及び審査委員会の動き
(1) 適格審査作業の仕組み
(2) ニューズ・レター『審査月報』の発行
3節 ニューズ・レター『審査月報』の基調と知性
(1) GHQに同化し適格審査を粛正と考えたキリスト者文部大臣
(2) 虎の威を借りたキツネのせりふ
4節 審査の過程における質疑応答から
(1) 戦時に文部省の方針に従った教員をどうするのか?
(2) デグニティや節操の意味が都合よく用いられている
(3) 公職追放該当者の三親等内の親族は就職禁止の規定
(4) 追放該当者の三親等をも実質追放にする人権感覚
5節 適格審査に関する文部省の自己総括
(1) 文部官僚は軍国主義の諸影響が払拭されていないと判断
(2) 主権回復後も適格審査の根拠を継承せよとの七十七号
6節 審査作業の総括『教職員の適格審査に関する記録』
(1) 占領政策の基調の持続を自明視している
(2) 「教職員の適格審査制度の批判」の項を設けてはいるが
(3) レッド・パージは省略している恣意
7節 【教職員の適格審査に関する記録】にある統計の示したもの
三部 事例/拓殖大学の適応過程
1章 拓殖大学の存在理由を否定した諸法令
1節 近代日本の海外活動と校是
(1) 近代での海外に向けた活力は一切排除された
(2) 海外への展開は軍国主義的で国家主義的と断定
2節 評議員で公職追放をされた人々
3節 占領とは鎖国を強制されたこと
(1) 海外への関心は侵略主義でナチ的かファシスト的全体主義
(2) 海外移住に関わる諸学は追放の条件
2章 拓殖大学における占領政策への適応
はじめに 学内の対応を把握する仕方
1節 昭和21(1946)年
(1) 高垣寅次郎学長,中央教職員審査委員会委員に任命
(2) 学内の審査委員会の発足と初期の審査
2節 昭和22(1947)年
(1) 審査対象の拡大による作業の恒常化
(2) 審査室への報告内容
3節 昭和23(1948)年
(1) 審査への文部省の介入形態
(2) 個々人への審査の手法
4節 昭和24(1949)年
(1) 商学部拓殖学科への追及
(2) 公職追放解除されても教職は別
5節 昭和25(1950)年
(1) 「『大学適格審査事務』調査」の結果
(2) 拓殖学科への再度の追及
(3) 審査原則を固守しようとする文部省
6節 昭和26(1951)年
(1) 評議員を不適格にされた石坂泰三の事例
(2) 省外の圧力で徐々に緩和する審査条件
7節 昭和27(1952)年 ――茶番の終わりか崇高な作業の継続か
(1) 主権回復による審査制度の廃止
(2) 制度の初心の定着を図るための努力
四部(中間総括) 他力(外圧)による教職員適格審査への倒錯した理解
1章 ダブル・スタンダードとフェア・プレイの錯綜から
1節 価値の逆転への適応
2節 占領認識の転倒と錯誤
(1) 天皇の命令を必謹
(2) 「新しい範疇の占領形態」
3節 占領政策の一面しか視ない進歩意識
(1) 法制上から見た占領時代
(2) 占領中の変革(精神的武装解除)を進歩と考える意識
2章 次官通達七十七号作成の心理学
1節 「戦後民主主義者の精神型態」の象徴
2節 適応に二つの型/積極的に同化するか屈辱と思うか
3節 過度の同調・同化から生じる退廃
3章 レッド・パージ(逆コース)の認識
1節 パージが180度転換した国際的な背景
(1) 占領の本質を露呈した朝鮮戦争
(2) 民主化政策の裏面にあった日本弱体化
2節 逆コースという表現に見る弱さ
3節 レッド・パージを理解できない知性(?)
(1) 近代の「欧化日本」教育が生み出した正嫡
(2) 近代日本における「主義者の精神型態」
4章 主権回復後に占領中の試行錯誤は総括されたか
1節 勝利者は敗者に対し勝利の正当性を主張するという定理
(1) 自虐史観と評される側は痛痒を感じない
(2) 「植え込み」という「矯正」
2節 占領政策の二重基準
3節 ダブル・スタンダードが見抜けない知力
中間総括 教職適格審査は日本社会の進歩にとり不可避?
1節 米国の利害と直接に結びついていた適格審査
2節 第二稿『文部省による思想管理の実態』解明の理由
資料(指令と勅令/通達)
(1) GHQ指令「日本教育制度に対する管理政策」/1945年10月22日
(2) 同指令「教員及教育関係官の調査、除外、認可に関する件」/同年同月30日
(3) 勅令第二六四号「教職員の除去、就職禁止及び復職等の件」/昭和21(46)年5月6日
(4) 「教職員の除去、就職禁止及び復職等の件の施行に関する件」/昭和21(46)年5月6日
(5) 文部次官通達「教職員の適格審査制度の廃止に際して」/昭和27(52)年4月26日付文人適第七十七号
第二稿
文部省による思想管理の実態
〜昭和5(1930)年から16(41)年の拓殖大学史から〜
<解題> 文部省による思想管理の実態
一部 文部省が高等教育機関の思想管理を始めた大状況
はじめに/問題の提起
本稿で扱う資料の制約
資料の引用の仕方
主題への接近の仕方
(1) 本稿は「管理」から前稿と一体で読まれるようになっている
(2) 海外から来た管理を優先する要因
(3) 思想を管理できるとする「見識」(?)
前提一・暗黒の木曜日から始まった世界恐慌の余波
(1) 世界恐慌の背景
(2) マルキシズムの預言は当たったという説の蔓延
(3) 政策科学より倫理的な把握に傾斜
前提二・コミンテルン日本支部(日本共産党)の活躍
(1) 日本共産党は日本の政党ではなかった
(2) コミュニストの革命活動を危険視するのは当然
(3) いまだに実際が観えていない日本の知的(?)社会
前提三・ロンドン軍縮会議と統帥権干犯問題
(1) 必要な海軍軍縮を受容れられない過敏な国防意識
(2) 議会自身が統帥権への歯止めを脆くした
(3) 統帥権の聖域化を助長した国体明徴問題
二部 思想管理への制度的な整備
序章 通牒・学生部報告例に関する件/昭和5(30)年
1節 通牒(発学二〇号)の内容/4月
(1) 従来の学生思想調査
(2) より精緻な報告を求めた「報告事項」発学二〇号
2節 拓殖大学の回答
(1) 最初は問い合わせに返信せず
(2) ユーモアのある回答内容
1章 私立大学総長学長協議会の開催/同年12月
1節 協議会後の私大実務者会議の開催へ
(1) 12月の二つの会議に至るまで
(2) 会議直前に拓大学長永田は天皇に拝謁
(3) 宮原民平学生監の「学生思想問題に関する意見」
2節 私大学生監(学生主事、生徒主事)会議での議了事項
(1) 当初の会議期間が延長
(2) 全学連運動の原型がすでに明らか
(3) 私学建学の由来に基づく精神教育の振興を求む
2章 実務者への思想管理を強化/昭和6(31)年
1節 私大学生主事・学生監第2回会議での議了事項・1月
(1) 初回から間隔を置かない2回目の会議
(2) 前回の総論了承を受けて実際面の対策を徹底
(3) 学生よりも実務者側への思想教育
(4) マルキシズムに「東洋と日本の学問文化」で対処
2節 学内で惹起される騒擾への対処
(1) 警察との具体的な連携強化の「監督取締り事項」
(2) 早稲田大学の反応/文書「早稲田大学の提出案」
3節 第2回会議以後の整備状況/2月〜5月
(1) 第2回私大総長・学長協議会での最重要課題
(2) 「思想的行動の監督取締り」と「思想上の指導訓育」の通牒
(3) 拓大の文部省への報告
4節 思想問題講演会の開始/8月
(1) 学生思想問題調査会を設置
(2) 初期の思想問題講演会
(3) 秘密文献「革命的青年学生の任務」「学生自治会について」
5節 在日中国留学生による排日運動への取り組み/10月
6節 極秘定期情報誌『彙報』の発刊/11月
(1) 先行していた「思想調査参考資料」
(2) 『彙報』の取り扱い方
(3) 甲と乙2種類『彙報』に収録された情報の出所
三部 満洲事変以後から思想局の創設へ
3章 満洲建国以後/昭和7(32)年
1節 文部省の平衡感覚か? 右傾学生への調査/3月
(1) 国民の行き詰まり心理を吹き飛ばした満洲事変
(2) 左傾学生運動に対抗する右傾学生運動台頭の背景
(3) 右傾学生団体の調査
(4) 報告されなかった? 『魂の会』
(5) 大学から報告された内容/4月
(6) 報告内容の示唆するもの
2節 満洲建国以後の思想問題講演会/7月
3節 思想問題に関する「図書推薦」/5月・8月
(1) マルキシズムに対峙する良書
(2) 特別高等警察部 (特高警察)の設置
4章 日本共産党幹部の転向と『非常時と国民の覚悟』/昭和8(33)年
1節 治安事犯及び処分学生の調査/2月・5月
(1) 治安維持法に抵触する学生の調査
(2) 左傾、右傾の双方の資料を監視し収集対象に
(3) 処分学生の追跡調査
2節 転向声明と瀧川幸辰事件そして「名誉の孤立」/6月〜7月
(1) 左傾を分裂させた転向における国際環境認識
(2) 「名誉の孤立」は『非常時と国民の覚悟』
(3) 三度目の思想問題講演会
3節 閣議報告された思想取締方策の具体案/8月〜9月
(1) 日本精神を開明して不穏思想に対処する策
(2) (右傾) 修養団体、 研究団体の調査/11月
5章 文部省学生部を改組し思想局に/昭和9(34)年
1節 右傾調査が求められた背景
(1) 突出か? 救国埼玉青年挺身隊事件
(2) 治安事件頻発の背景
(3) 学生部編 『国家主義的立場を標榜する学生団体』/2月
(4) 救国埼玉挺身隊事件に関する大学の文部省宛報告/4月
2節 『日本改造運動』 上下巻/3月・7月
(1) 題名の付け方
(2) 上巻の内容
(3) 下巻は「その思想的根拠」を解明
(4) 日本改造の思想的な根拠を明らかにする方法
3節 文部省学生部から思想局への昇格改組/6月
(1) 行政機構に思想を名称に用いた機関が発足
(2) 思想局発足後の最初の思想問題講演会開催/7月
4節 社会風紀の管理開始/6月〜9月
(1) 警察が学生の生活にまで介入
(2) 警視総監への回答を文部次官名で行う
5節 社会の基盤である家庭を対象にする講習会/10月〜11月
四部 加速する内向き情動を取り込む
6章 国体明徴と天皇機関説批判/昭和10(35)年
1節 前兆としての陸軍省編『国防の本義と其の強化の提唱』
(1) 時代認識で陸軍に遅れをとっていた文部省
(2) 法理ではない思想戦としての「天皇機関説」論争
2節 国体明徴という「空気」の影響力/3月〜7月
(1) 熱病のように蔓延する国体明徴という抽象言語
(2) 文部省の機関説批判と国体明徴問題についての対応
(3) 抽象言語の横行する世間とは異質な世界情勢の認識
3節 国家主義運動情報への対処の変遷/2月〜11月
(1) 左傾情報の『彙報』に右傾(国家主義)情報も収録
(2) 非合法国家主義運動への踏み込んだ関心
(3) 「革新的日本精神論」は陸軍の党派抗争にも作用
7章 2・26事件と国粋への傾斜/昭和11(36)年
1節 分水嶺としての2・26事件の余波
(1) 実定法を侵食し出した不文法の世界
(2) 抽象言語が現実に敗れた2・26事件の決起将校
(3) 合法的国家主義運動は『資料』/4月
2節 学生消費組合から拓大は脱退/2月
3節 憲法学における国体明徴教育の報告要請/4月
(1) 国体明徴教育の一環になった憲法学
(2) 澤田五郎講師の帝国憲法論
4節 日本文化教官研究講習会/7月
8章 思想局から教学局へ/昭和12(37)年
1節 文部省編刊 『国体の本義』 /5月
(1) 機関説否定は神政国家への移行
(2) 軍民は文武で各々の職分を果たせ
2節 組織改編拡充の意図したもの/7月
(1) 海外国費留学の抑止と「国民精神総動員」
(2) 思想局を廃止し教学局・局長は長官職に/7月
3節 国民精神総動員に向けた思想管理
(1) 日本精神研究への偏重
(2) 『思想研究』を11月に刊行
五部 法制による戦時体制化
9章 国家総動員法の公布/昭和13(38)年
1節 提供情報を受領する主事の調査/1〜4月
(1) 首都南京の陥落による情勢の変化
(2) 学生主事(学生監)の人事調査を徹底
2節 「国家総動員法」 の公布に付帯した行政指導/4月〜
(1) 国民精神総動員についての問い合わせと回答
(2) 「銃後後援の強化」は勤労動員
3節 「学生生徒の文化、思想調査に関する件」/4月
4節 「国体の本義解説叢書」から日本文化講義の確認へ/1〜3月
(1) 「国体の本義」と自然科学の本義の関係
(2) 神道の啓蒙と時局への取り組みの関係
5節 日本諸学から東洋教学の講習会へ
(1) 日本諸学振興委員会第一回歴史学会/6月〜7月
(2) 同委員会第一回経済学会並びに公開講演会の開催/10月
(3) 大陸への介入拡大に伴って、日本から東洋へ/7月
6節 勤労動員「集団的勤労作業運動実施に関する件」/6月
7節 教学局による「図書の推薦と紹介」の指導方針/12月
10章 内なる外国人留学生への目配り/昭和14(39)年
1節 学監中村進午著『法学通論』が注意される環境
(1) 『国体の本義』 から問題視される中村進午の法学/4月
(2) 日本文化講義の継続化/4月
(3) 日本諸学振興委員会第一回法学会/11月
(4) 日本文化研究講習会自然科学第四回講習会/12月
2節 「国民精神総動員」体制での教練と教育「振作」/3月
(1) 陸軍による教練強化の意向
(2) 予科と専門部の回答内容が違う
3節 「興亜青年勤労報国隊北支及蒙疆派遣に関する件」/5月〜
(1) 占領地等への体験学習派遣
(2) 報国隊派遣学生隊における拓大の立場/6月〜8月
4節 「半島人、台湾本島人」 など列島外学生の調査/9月
(1) 防諜意識の喚起と施策化/6月
(2) 「半島人、台湾本島人」など学生生徒に関する調査
(3) 拓殖大学の回答
5節 学生の意識調査について3題
(1) 学生消費組合の活動に関する調査/10月
(2) 独ソ不可侵条約締結に伴う反応調査/11月
(3) 図書館に関する調査/12月
六部 準戦時体制下での修学環境
11章 中国や蒙疆への国策協力/昭和15(40)年
1節 禁止される図書と推薦される図書/2月〜
(1) 発売頒布禁止処分の図書
(2) この時期における推薦図書の概要
(3) 学内刊行物の調査/4月
2節 集団勤労と海外派遣の重層的な強化策
(1) 講習協議会という練成と訓練/3月〜10月
(2) 報国隊活動の戦略的な展開/4月〜9月
(3) 教員練成講習会の開催/11月
3節 日本諸学の学会強化
4節 中国関係の諸学と地域研究者の調査/9月
12章 教学局編『臣民の道』の刊行/昭和16(41)年
1節 経済学関係の講義に関する調査/1月〜3月
2節 教職員の著書と論文の調査/2月〜3月
3節 日本文化講義の拡大解釈/4月
4節 学内刊行物調査と禁止図書の扱い/4月
(1) 「学校関係出版物の調査に関する件」の意図と拓大の対応
(2) 発禁処分の図書をどう取り扱うか
(3) 事例/通牒を受領する学校側の過剰適応
5節 教学局編『臣民の道』の配布/7月
13章 興亜報国から国民勤労報国への展開/開戦の選択も
1節 報国隊の北支・蒙彊派遣の中止/7月
2節 拓大報国会は行政指導以前から/昭和14年に発足済み?
3節 訓令による報国隊の結成から「国民勤労報国協力令」へ
(1) 報国隊の編成内容
(2) 勅令 「国民勤労報国協力令」/11月
七部 近代日本高等教育史における拓殖大学の教学(1)
問題の整理
1節 主題への接近において隠れている意図
2節 「思想管理」への拓大による対応
(1) 右傾の営為
(2) 右傾行為の報告
(3) 思想管理への自立した反応
(4) 教育の成果・2例
3節 拓大関係者による文部行政への距離感
(1) 距離を保つ見識の生まれた背景
(2) 「事物を有りのままに観察」する姿勢
問題の提起/複眼的な思考力の習性化
1章 読書人・新渡戸稲造と安岡正篤の生き方
1節 新渡戸稲造の生き方/「個人として強かれ」
(1) 三代学監に就任した史実は抹消
(2) 物事の是非判断は複眼的思考から可能になる
(3) 思索は個人の営為である
2節 安岡正篤における敗戦(休戦)の受け止め方
(1) 終戦の詔書と『休戦に際する告辞』
(2) 『休戦に際する告辞』は日本文化継承の宣言
3節 2人の姿勢に共通しているもの
(1) 本来の自前のインテリジェンスが生きている
(2) 西洋と東洋、日本を複眼的に凝視し続けた
2章 学監宮原民平の思索と姿勢
1節 シナ学の蓄積から来た見識
2節 『拓殖文化』創刊言/1919年
3節 小文『思想善導』/1924年
七部 近代日本高等教育史における拓殖大学の教学(2)
3章 学長永田秀次郎の歴史・世界認識
1節 学長永田の軌跡
(1) 後藤新平が後事を託した人
(2) 東洋風な人徳の持主
2節 永田の世界認識
(1) 世界史の転換期をどう受け止めるか/著作『日本の前進』
(2) 白人優先による有色差別の旧体制を解体する
(3) 日本の世界政策/グローバル・コモンへの注視
(4) 世界に臨む日本人の在り方
3節 「思想管理」の受け止め方/後藤新平観から推理する
(1) 後藤、そして水野錬太郎
(2) 革命ソ連との国交開始は好機
(3) ソ連を承認すれば日本は共産化するのか
(4) ソ連は孫文を選び後藤の経綸は実現せず
(5) マルキシズム浸透への自信
4節 思想としての他者の容認
(1) 日本民族の尺度をもって異民族を測定するな
(2) 「世界は人間の為に造られたるものでは無い」
結び 永田の在り方とは
八部 昭和という時代から現在に引きずっているもの(1)
はじめに/昭和時代を貫いて継承しているもの
1章 革命か維新かの争点
1節 文部省が思想管理に躍起になった理由
(1) 革命は既存の体制を倒すこと
(2) 国家日本は忠誠対象にならない
2節 不文法を実感する世代と希薄なロシア革命後の世代
(1) 国体と不文の法が危機に曝されている意識
(2) 不文法などは幻想と思う世代の台頭
3節 「日本改造運動」派の有した制約条件
(1) 階級対立よりも東西文明の対立を基軸にする
(2) 開化官僚による右傾理解の限界
2章 教学方針が観念化に傾斜する系譜
1節 『非常時と国民の覚悟』/昭和8(1933)年6月
2節 『国体の本義』/昭和12(1937)年5月
3節 『臣民の道』/昭和16(1941)年7月
4節 昭和8年から16年までの8年間の思想的・政策的な営為
3章 国体明徴は文化的な一体性の深化か
1節 「我国独自の学問文化」・「東洋教学、東洋文化」への回帰
(1) 回帰現象は事態への後追い
(2) 文部官僚の世界認識と拓大の「文装的武備」
2節 「上滑りの開化」への彌縫策あるいは糊塗策
(1) 欧化は文明の不可避の道とする知性の浸透
(2) 昭和期の文部官僚による「思想管理」は彌縫策?
(3) 欺瞞と倒錯を意味する「状況追従」?
4章 戦前と占領を繋いだのは行政上の管理手法
1節 占領中にも継承された管理の手法
2節 戦前と占領中の文教行政に共通しているもの
(1) 超法規的な法治の時代
(2) 「古い上着よ さようなら」だけだったのか?
5章 事態の受け止め方に政策科学思考が働いていない
1節 感情論の前に外圧による被害者意識
2節 感情や精神で糊塗しようとする心理
3節 問題が生じるのは国民個々の精神に問題があるとする
(1) 建前としての精神偏重による袋小路
(2) 事態認識に精神が先行して生じる隘路
(3) 活性力を失っていた昭和国家の選良
6章 複眼的な思考力の劣化
1節 比較認識を不可避とする複眼
2節 明治の先駆者は複眼的な思考や認識を日常化
3節 比較を必要としない知性(?)の劣化
八部 昭和という時代から現在に引きずっているもの(2)
7章 GHQと共棲していた知的選良の存在
1節 東京帝国大学総長・南原繁の歴史認識
(1) 敬虔なキリスト教徒の日本認識
(2) 昭和21(1946)年は紀元元年という歴史認識
2節 占領を奇貨として協力した面々
3節 GHQに共鳴した保革知識人の親和性
(1) 南原繁と再建日本共産党・徳田球一の近しい距離
(2) 欧化優先への反発だった「我国独自の学問文化」の果て
総括/昭和の遺制から脱却し21世紀に求められる大学像
はじめに/近現代日本史を三つの段階で大掴みに捉える
1章 何を学んだと実感すれば総括になる?
1節 当事者意識の内容が違う
2節 南原の歴史認識と永田の世界認識の違い
3節 複眼を必要としない二者択一思考
(1) 近現代を通しての、「あれかこれか」
(2) 二者択一思考から複眼認識は生まれない
(3) 二重基準を見えにくくする「あれかこれか」思考
2章 近現代の負の遺産を未来への資産にする方法
――いわゆるグローバリゼーションを凌駕する大学像とは
1節 肥大化する観念の継続
(1) 善意による視野狭窄の土壌
(2) 「何のために」を粗略にした高等教育の退廃
2節 グローバリゼーションを凌駕する大学像
(1) 追いつき追い越せというキャッチアップの近現代
(2) 多元的な価値の共生を実感する場の提供
九部 関連年表と資料
関連略年表
資料(1) 6代学監・宮原民平 『思想善導』・大正13(24)年4月
資料(2) 共産青年同盟 『学生自治会について』
(いわゆる学生テーゼを自治会に特化したもの)・昭和6(31)年5月?
資料(3) 鍋山貞親・佐野学『共同被告に告ぐる書』・昭和8(33)年6月8日
資料(4) 4代学長・永田秀次郎 『俳句的人世観』