昭和史における文部行政への政策評価

2007年8月30日

<解題> 占領下における教職“追放”(教職員適格審査)

池田 憲彦
元・拓殖大学日本文化研究所教授
同研究所附属近現代研究センター長
高等教育情報センター(KKJ)客員



 はじめに

 昨年末に安倍内閣によって教育基本法の部分的な改訂が実現した。これまで,現行憲法と同じように制定以来一切手付かずのものであった。すると,日本の公教育の舵取りが大きく変わるきっかけになるかもしれない。しかし,教育基本法の生きた時代とそれ以後という括り方がされるかどうかは,これからの取り組みによる。
 教育基本法が生きていた時代での通説は,1945年を境にして日本の教育は根本的に変わったとするものであった。近代教育の否定から現代教育は始まったことになっている。それは革命的な変化であった。そして,現在までの教育制度の大半は占領中に変革したものを源流にしている。


 占領中の変革を関係者はどのように受け止めているのか

 では占領中の変革はどのように行われたのか,その主力であった「教職員適格審査」については,漠然とした説明しかされていない。または自画自賛しかない。一般的には,それまでの軍国主義教育から民主教育がされるようになったという建前が基調になっている。
 この基調は,教育行政を担当する文部省と,民主教育を現場で行っていた教員の最大労組であった日教組は,その色調に多少の違いはあっても,共有していた。それは両者の存在理由に関わっていたし,否定することは自己否定になってしまうからであった。
 法理的な面では,占領中に制定された現行憲法と教育基本法がセットになっていたところに,こうした共存というか共生(棲)が可能であった。現在から振り返ると,占領以後では東西対立の反映としての保革による55年体制の継続という背景もあった。そこで「占領中の変革」の評価では,馴れ合いによる隠蔽が意識的にも無意識にも行われていた,という見方を否定できない。


 占領中の変革の根幹をなしたのが「教職員適格審査」

 占領軍GHQが日本に望む民主教育は誰がするのか。占領軍が米軍日系二世を用いてするのか。彼らが否定する軍国主義教育は,その担い手を温存していて出来るのか。教科書は,GHQから見て不適切な下りは墨で塗ればいい。しかし,教員はどうするのか? そこから始まったのが「教職員適格審査」であった(二部,三部)。革命的な変革に対応できる者,できない者を振り分ける作業である。戦前や戦時中に追われていた者は復権し,審査により追われた者(追放)も出てきた。追放されるとその咎は三親等まで及ぶ有様であった。
 この壮大な作業の総括はまだされていない。その理由はすでに前述した。「馴れ合い」上,深く検証することは出来なかったものと思われる。馴れ合いとあいまいさは,主権回復直前の2日前の1952年4月26日に出された文部事務次官通達七十七号にある(二部2章)。


 個々の大学史ではこの変革をどのように受け止めているのか?

 日本が独立していた時代のうち戦時色を帯び出しての大学史では,かなりの頁を割いて大学の自治が危機に瀕した風の記述が多い。しかし,不思議なことに,占領中のとくに取り上げるべき「教職員適格審査」の記述は,びっくりするほど少ない。触れていない大学まである。駆け足で走り抜けたいという思いが行間から伝わってくる体のものだ。
 官学私学併せて29大学の大学史及び史料集にどのように扱われているかを追ってみた(一部1章2章)。


 事例としての拓殖大学の場合

 大学百年史編纂を意図しての資料収集の過程で,『教職員適格審査関係書類綴』が見つかった。当該問題について,文部省との間でどのような交渉経緯を経ていたのか,第一次資料があったのである(二部「本稿で扱う資料について」)。この発見は僥倖としか言えない。従来の年史(既往の『拓殖大学六十年史』同『八十年史』)では全く不明であった部分が明らかになったからである。
 この綴りの資料としての重要性は,拓殖大学の対応もさることながら,文部省がこの作業にどのように取り組んでいたのかが,保存されていた資料から赤裸々に明らかになったところである(三部2章)。


 教職員適格審査という作業から浮上してきたもの

 近代日本にとって,エポックになる文明衝撃は2度あった。その1は明治維新である。その2が連合国の代表としての米国による占領であろう。その1は外圧によるものであっても,自前の変革であった。しかし,その2は占領という主権を奪われ閉塞を余儀なくされた上での変革であった。その史実がどのように歪曲されて後世に伝えられていったかが問題である(四部)。
 日本が対米戦争に入る前に10年にわたり駐日大使を務めたJ・グルーは,日本の敗戦直前に国務次官として一時期,日本占領の仕方に影響力をもった。その彼は,回顧録『滞日十年』を遺している。うろ覚えだが,その中で「日本人ほど自分を誤魔化すのがうまい民族はいない」風の下りがあったように記憶している。この作業に取り組んだ文部省の人々はその典型のように見えてくる。


戻る