2007年7月6日

(予告)昭和史における文部行政への政策評価
〜21世紀という大海の荒波を泳ぎ切る高等教育像を探る〜

“私論公論”の場 編集部



 はじめに

◆試行錯誤としての教育再生会議

 各界の名士を集めたという会議の論議の果てに何が出てくるのか?
 去る6月1日に,『社会総がかりで教育再生を』をメインタイトルとする第二次報告が発表された。
 文科省や教育関係者,それぞれの利害から斜めに眺めている者も,正面から凝視している者も,様子見が続く。冷ややかな目線を保持している者の中には,この7月に行われる参院選挙の結果待ちもいる。


◆33年前の臨時教育審議会の功罪

 中曽根康弘は,行管庁長官時代に臨時行政調査会をもって行財政改革で実績を積み,1982年に首相に就任した。84年8月に臨時教育審議会(〜87年8月)を設置して,教育改革に乗り出したものの,すぐに後退した。制度改革には踏み込めず,情報化と生涯学習を主眼にした4次の提言だけに終わった。
 政治勢力としての日教組がまだ健在であった。日教組の背後には現在の文科省の前身である文部省があった。東西冷戦下であり,ソ連は一方の旗頭として存在していた。社会党も存在しており,まだ国内政治に影響力を有していた。
 そうした角度から見ると,中曽根首相の後退は,ステーツマンとしてはともかく短期の政略的な保身として賢明であった。その後退がもたらしたものは何か。政権与党としての自民党にとって,教育制度問題への取り組みは得策でないという感覚である。


◆教育基本法の改訂は高等教育にも波及

 安倍内閣は,これまで手をつけられなかった教育基本法を部分的ではあっても改訂し得た。次いで,教育三法の改訂に及んだ。教員の終身雇用に楔を打ち込んだ。日本の教育制度が大きな転換期に突入したのは確かである。
 少子化問題もあって,大学の別名でもある高等教育機関の多くは,公私を問わず経営上からも岐路に立っている。今回の再生会議の行く末は,高等教育にとっても吉と出るか凶と出るか。


 「高等教育の現在」を取り巻く環境

◆国家経営破綻にも耐える国民

 臨教審が終焉してからの日本はバブル経済で狂乱の日々を過ごした。実際は突如ではないものの,突如とした総量規制によりバブル経済は崩壊した。後の90年代は,失われた10年を経て,現在に至っている。
 暗夜に一灯の見えない失われた10年ならぬ15年を過ぎて現在に至るも耐えてきたのは,多くの黙々と働き続けてきた国民である。治政が良かったからではない。一例を挙げれば,国内と海外の銀行利子の格差を見ればいい。無為でもない失政により,個々の国民が貯めたどれだけの国富が不当に失われているのか。一方で自治体も含めた一千兆円を越えている財政赤字である。
 そうした異常が堂々と通っても黙っている国民を育成した教育のどこに問題があるのか。この機会に,背景に何があるのかを考えていきたい。これだけ長期間にわたり未必の故意による失政が続くと,さすがに気づく者が出てくる。


◆教育再生会議の勇気

 従来の枠組みや構造の変動している現代の国際社会にあって,教育の再生を主題にするのは勇気がいる。参加者がどのような問題意識で臨んでいるかが問われている。よほどの見識とその共有がないと,論議は一場の茶番で終ることになるだろう。
 高等教育に至っては,初中等教育の在り方を前提にして,学際的な認識に基づいた慎重な取り組みが求められている。


 しなやかで強靭な身体と知性を鍛える高等教育

◆義務教育と高等教育の決定的な違い

 再生会議が,こうした事態にどれだけ効果のある処方箋を提起できるのか。各界の有識者(?)による議論の記録は,現在の制度改変に関わる選良(エリート)の事態掌握力がどの程度のものであったかを知る貴重な情報である。
 基本課題は,21世紀のこれからの国際社会で,日本人は国家を編成しつつ生き延びることができるか,であろう。高等教育は,主権国家を担う一員としての基礎教育をする義務教育と一線を画しているはずである。この小見出しにあるように,「しなやかで強靭な身体と知性を鍛える高等教育」は,どのようにすれば実現可能か,である。


◆行政の関与と介入

 これまで,教育の水準を下げない,あるいは内容を豊かにする名分のもとに,行政が教育に関与する範囲が多方面に及んでいた。関与は通常では行政指導といわれている。
 行政による過剰介入により,がんじがらめにされている基礎単位である学校に,少しでも裁量権を与えようとしたのが,現在批判されている「ゆとり教育」であったと思われる。非難ごうごうであえなく退場した「ゆとり教育」は,竹下内閣による3,300の自治体に1億円を配分した「ふるさと創生」政策の,遅れて登場した教育版であろう。
 せっかく自主裁量のできる余地を与えても,近現代のこれまでの来し方により,その機会をどのように生かすかが当事者にはわからない。前例のないところ,試行錯誤を恐れて生かしきれないのである。部外者もその政策的な意図を見ているのか,いたずらに批判するだけに終始した。


 高等教育に行政が過剰介入した事例研究

◆過剰介入から作られた習性

 現状の解明は多くの論者や研究者が提示している。ここでは,全く別の視点から高等教育機関の来し方と行く末を考えることにする。
 「行政の関与」という面では,近現代の高等教育では,二つの時代が突出している。その一つは,改訂前の教育基本法が作られた時代である占領中の期間である。他方は,教育基本法の制定理由としての,払拭が求められた軍国主義化の時代である。この二つの時代の基調は背反関係にあると思われている。
 しかし,二つの時代は,「行政の関与」面では想像以上に連続している。そこに習性化した介入が横行した。いまだにその残滓はしぶとく生き延びている。この性癖こそ,21世紀における日本の生き残りにとっては,負の遺産になる。


◆過去は現在と無縁ではない

 これまで触れられるところの少なかった教育行政の過剰介入の生態を,前掲の二つの時代において実証的に明らかにしたい。一見すると現在と無縁のようであるが,事態が近似すると同様の展開をもたらす懼れがある。さらに厄介なことは,この習性が国外から利用されるところだ。
 見当はずれか迂遠のように思われるものの,過去を知らないと,想定外の状況で過去により復讐されることになる。過去は現在の背後にしっかりと息づき張りついているのである。


◆昭和史における文部行政の政策評価から

 次回から,池田憲彦氏(元拓殖大学日本文化研究所教授・附属近現代研究センター長)による当該分野の調査作業のエッセンスを報告することにしたい。
 同氏は,昨年8月に小会の“高等教育原点シリーズ”セミナーにおいて,「日本の大学〜“肉眼”による“近代史認識”を通しての“再構築”」をテーマに,異色な視座に基づき,鮮烈なる論展をいただいた。テキストとなった『 近代日本の大学人に見る世界認識 』(自由社,2005年10月)と併読いただきたい論考のご執筆となろう。


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