「都市のスリッパ」と呼ばれた公共レンタカーシステム。このシステムへの各国の関心は、1980年代以降、急速に遠のいていったかのように見えた。ところがいま、フランスを中心に、ヨーロッパには再び、このシステムをめぐる動きが起こってきた
その背景の一つは、都心部の公共空間の配分を見直そうという動きである。限られた都心の空間が、自動車の走行空間や駐車空間に占められすぎて、歩行者や自転車、乳母車などの自由が問題になってきたのである。
街を歩行者寄りに変える動きは、1960年代後半から、ヨーロッパ、アメリカに徐々に育ってきた。そのために道路を歩行者道路にしたり、そこへのアクセスに公共交通機関を利用しやすくする工夫を、欧米の各都市は今日まで重ねてきた。都心や、郊外観光地などでの公共レンタカーの試みも、その工夫の一つであった。しかし、公共レンタカーの試みは、すべてが挫折した。
ところがここへきて、再び、公共レンタカーへの関心が息を吹き返す兆しが現れた。たとえば、フランスの自動車メーカーのプジョーとシトロエンを中心とするグループによる「チューリップ」システム、または、フランス独特の公共交通運営受託会社の一つCGEA社、およびルノー社が中心となる「プラクシテル」システムである。
「プラクシテル」は、1997年夏には、パリ郊外の新都市サンカンタン・イヴリーヌで、かつてない規模による実験を始めるところまで来ている。
また、アムステルダムでは、20年前、ホワイトカーと呼ばれる公共レンタカーの実験で挫折したスキンメルペニンクさんが、こんどは、白い自転車を使って、公共レンタサイクルを、国と市の協力で始めることになっている。
なぜ、かつての試みがことごとく挫折したのか。それにもかかわらず、なぜいま復活の動きが出てきたのか。
96年秋、鈴木辰雄((財)国際交通安全学会顧問)、牧野宏明両氏とともに、ヨーロッパの各地に、その動きを調べに出かけた。
ただし第3章「見直される公共空間の役割」第5節に登場するイギリスの都市、バートン・アポン・トレントには、鈴木、牧野両氏だけが行き、私は行かれなかったので、両氏から話を聞いてこの節をまとめた。