自転車は、無公害で健康な乗物だ、と賛美する風潮がある。だが、多くの都市の現状から見ると、そんなことは、手放しでいって欲しくないと思う。
この風潮は、自転車を、郊外でサイクリングに使う場合と、混み合った市街地で移動の道具として使う場合とを見極めずに、観念論として生まれてきている。
駅前をはじめ、街のいたるところに放置されている自転車をみて、「無公害で健康な乗物だ」といえるだろうか。歩道をわがもの顔に突っ走る自転車をみて、「無公害で健康な乗物だ」といえるだろうか。
自転車は、決してそのままで「無公害で健康な乗物」ではない。歩行者を脅かすことなく、また自転車が自動車におびえることなく走ることのできる舞台があって、初めて「無公害で健康な乗物」になりうる可能性が生まれてくるのである。
その舞台を、早く用意しなければ、自転車を文明の素晴らしい道具として生かすことは難しい。そう考えて、朝日新聞の国際交通シンポジュームの中で、自転車をテーマの一つに取り上げたのは、25年前、1973年だった。
日本でも、市街地での自転車道の必要に気づいた先覚者はいた。1964年4月、日本で初めての市街地の自転車道1.1キロが、四国、徳島市の通称「国体道路」に完成した。幅2.1メートル、自転車の往復通行に耐える幅である。当時、徳島県警本部長だった降矢時雄さんが、ヨーロッパを視察して、自転車道の必要性を痛感し、県の交通対策協議会に提案、全会一致で採用されたという。
続いて、同じ四国の今治市や高知市でも、市街地に自転車道が建設された。しかし、あとに続く都市が、今日までほとんどなかった。それだけではなく 1978年には、道交法の改正で「自転車通行可」の歩道が、全国いたるところに生まれてしまい、人々は1安心して歩ける空間を失った。
東京のある区の自転車対策協議会で、区内のある道路の歩道を走る自転車の量が、あまりにも歩く人に比して多いので、その道路に自転車道を造ろうという提案が出た。それに対して、委員の一人である、某警察の署長は「それより先にすることがあるだろう」と発言した。自転車におびえる人々は、20年以上もそれに耐えてきた。「それより先に」とは、いったい何があるというのだろう。
しかし98年になり、総務庁交通安全対策室、建設省土木研究所、律設省道路環境課、通産省車両課などで、都市での自転車道の計画を考える動きが出てきた。建設省道路環境課の作業は、東京、静岡、広島、佐賀などの都県の都市で、自転車道のモデル地区を造る話を進めており、警察庁も参加している。
また運輸省政策局は、日常の生活の中で、電車などの鉄道に自転車を持ち込みやすくする制度を考え始めた。バスでは96年から群馬県の日本中央バスが実施して、喜ばれており、電車では、熊本県の熊本電鉄が、10数年前から自転車や乳母車の持ち込みを認めている。
自転車をバスや電車に乗せることができる都市は、ヨーロッパやアメリカには沢山ある。サンフランシスコの地下鉄BARTや、ニューヨーク・マンハッタンのロープウェー、あるいはサンディエゴのバスもその例だ。
OECD(経済協力開発機構)は、20年以上も前にこういっている。「自転車の保管の施設、あるいはバスや鉄道で自転車を運ぶ設備を備えることは、公共交通機関の両端で、利用者の連続性を高めることになり、それがまた公共交通機関の利用を促進することになる」といっている。
ところで自転車の利用が、これだけの勢いで増えてきた背景にも、メスを入れる必要がある。
いろいろな背景が考えられる。たとえば、バスの運賃がどんどん上がってきたことや、バスの通りにくいところに住宅が増えてきたことも、その一つだろう。だから、やむなく自転車を使うようになった人も少なくあるまい。道交法が、歩道を走ることを認めたことも、背景の一つになったかも知れない。
96年晩秋、東京・武蔵野市でコミュニティバスのムーバスが走り出した。運賃100円、道路の狭い住宅地をまわるバスである。沿道の自転車利用者の 40%が、自転車からムーバスに乗り換えた。このような規制ではなく、自発的に自転車の利用をやめる気持ちを起こさせる対策も、これからは必要になってくるだろう。
結局、日本の自転車対策は、駐輪場にだけ目が向けられてきたといっていい。駐輪施設と自転車道とは、都市の中で自転車を生かすための大事な両輪である。しかし、自転車道を造る決意と同時に、もっと広い視野から、どうしたら自転車を使わなくてすむか、という戦略も忘れてはならないと思う。
去る1998年3月8日、武蔵野市のコミュニティバス「ムーバス」2号路線・北西循環線が運行を開始しました。その日のムーバスの利用者は 1,000人を超えました(因に、1号路線の1日平均利用者は、約1,150人)。利用者二一ズ調査に参画した者として喜びにたえません。でも、なぜムーバスかといいますと、1号路線のフォローアップ調査をした結果、自転車からムーバスに移行した利用者が相当数いることが判ったからです。しかし、そのことも自転車条例の改正による登録・有料制、撤去の有料化等の導入と、ムーバス運行がリンクしていたから、ともいえるのではないでしょうか。タテ割りの制度に横糸を通して交通まちづくりを実践できるのは自治体でしかあり得ません。
一方日本では自転車交通に関する法制度や行政が、この20年間本質的にほとんど変わっていないことも、本書を製作しての実感です。それは、巻頭のグラビアに明らかです。日本的な駐輪場整備からヨーロッパ的な自転車交通行政への展開の糸口となる事例を、ということで調べましたが、難しいことが判りあきらめました。また、武蔵野市の市民交通システムからコミュニティバス・ムーバス2号路線への一連の調査、あるいは他都市での調査で、グループインタビューや路上観察、ヒアリング調査を実施し実に多くの高齢者の本音に耳を傾け、生活行動をみることができました。そこで必ずと言っていいほど出てくるのが、街へ出かける時の自転車に関する問題でした。さらに、昨年(1997年)秋に、(財)国際交通安全学会の自主研究プロジェクトでビデオ製作に参画しました。そのビデオは「ヒヤリ地図をつくろう!~シルバーによるシルバーのための交通安全~」という内容でした。その経験で痛感したことがあります。
一つは、高齢者が「ヒヤリ」「ハッと」した映像を撮るためには、路上での定点観測的な方法を採るしかありません。そこでレンズを通して見えてくる高齢者にとって、いかに自転車が恐い存在かが、次々と明らかにされるのです。ビデオ製作スタッフは、できるだけヒヤリやハッとの現状に迫る映像を撮りたいというので、私も再々その現場に出かけ、また編集にも立ち会いましたが、沢山の現実に驚きました。もう一つは、「ヒヤリ地図づくり」の手法の紹介で、杉並区の高齢者のグループに実際の作業をしてもらった時の経験です。自転車に関するヒヤリとする体験(走って来る、停めてある、乗っている時等々)が、歩行環境と同じ位に多いのです。予想はしていましたが、驚きでした。
翻って、ムーバスの成果の一番の要因として、自治体のリーダーシップをあげることができます。首長のやる気と戦略(ポリシー)をベースに、それを支える行政マンと外部スタッフの連携があってこそのことです。しかし、首長に提案や問題提起ができるのは、実は行政マンではないでしょうか。外部スタッフは専門的な立場から参画するのですから、行政マンがより一層市民二一ズを把握することに心掛けることで、その可能性は相当に拓けてきます。もっと首長や自治体が挑戦する、試してみるという姿勢で取組めば、自転車交通行政に新しい展望が見えてくるのではないか、と期待しています。
本書の刊行が最悪の年度末となってしまいましたことで、編集委員はじめ執筆者にはご迷惑をおかけしてしまいました。しかし、とうとう第6回配本までこぎ着けたことでご了承下さい。厚く御礼申し上げます。(緑川)