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                                           2017.7.6

高大接続改革と新共通試験の検証と今後
〜コアパースン 荒井克弘氏へのインタビュー〜


回答者 (独)大学入試センター/東北大学 名誉教授  荒井克弘


  2012年8月の中教審諮問以来の高大接続改革審議が、この5月の「大学入学共通テスト実施方針(案)」にそって、パブコメと大学団体の意見聴取の後の7月中には「大学入学共通テスト」の基本方針が策定されます。本コーナーにおいても、荒井克弘氏<前(独)大学入試センター 副所長(試験・統括官)>に、2015年4月及び12月段階でQ&Aスタイルでの論点整理と直言(※)をいただきまし た。現段階では、政策シナリオはほぼ既定路線として固まりつつありますが、個別の国・公・私立大学各位への荒井氏のメッセージをお届けします。
  是非とも、本論考へのご感想・ご意見を直言願います。

Q1.欧米・韓国では、後期中等教育と高等教育はどのように位置づけられていますか?
   また、その接続プロセスや大学入試はどうなっていますか?
 (1)米国 
  ・アメリカの中等教育は中学校、高等学校、ミドルスクールなど、進学年齢も就学年限も異なる多様な学校があります。州、学区、あるいはそれよりも細かな区分で教育内容が異なることも知られています。義務教育は10年の州が多く、高等学校は3年制と4年制が混在しています。国の成り立ちもありますが、固定資産税により初中等教育が賄われているため、地方分権的な教育行政が徹底している国です。国レベルで定められる標準教育課程などは存在しないので、大学進学の際も共通の到達度テスト(学力テスト)などは実施できない事情があります。
 ・アメリカの大学入学制度は学力偏重ではなく人物優先の選抜だと、日本ではたびたび紹介され高く評価されてきました。しかし上記のようにもともと統一的な学力試験など実施できるような環境はないところです。SATやACTが全米の共通試験として通用しているのは、それらが適性型のテストであったり、基礎的能力を測るテストであったりするからです。アメリカの入学制度を理想とみるのも結構ですが、制度を規定している条件そのものに着目しておく必要があります。
 ・アメリカの学校体系はヨーロッパと異なり、高等学校を終えれば誰もが大学へ進学できる単線型の学校体系です。とはいえ、アメリカの中等教育は多様であり、大学もまた多様です。単純に高校と大学の接続という観点でいえば、これほど高大接続にほど遠い国はありません。しかしもう少し目を凝らせば、構造が違って見えてきます。大学入学後の学士課程がじつは高大接続を担っています。学士課程は一般教育(General Education)とか教養教育(Liberal Education)とか呼ばれていますが、この課程が専門教育を教える大学院と接続しています。つまりアメリカの高大接続の特質はここにあると言ってよいのでしょう。

 (2)英国 
 ・パブリックスクールやグラマースクールのような進学型の中等教育機関では、後期課程に「シックスフォーム」と呼ばれる進学準備課程が置かれています。そこで大学進学の準備教育が行われる。進学型の中等教育機関に在籍していない生徒のためには独立した「シックスフォームカレッジ」もあります。この種の進学課程がなぜ必要なのか。英国の事例は中等教育と大学教育の接続を考えるうえで、たいへん分かりやすいモデルを提供してくれています。
 ・英国が大学教育に熱心な国であることは知られた事実です。しかし他方で近年、大学の大衆化も着実に進めてきました。1994年にはポリテクニクに学位授与権を与え、大学の仲間入りをさせました。オープンユニバーシティと呼ばれる放送大学も有名です。英国はこうして大学の大衆化を図る一方、大学進学の資格試験となるGCE(General Certificate of Education)については学力試験の厳格化を進めてきました。GCEの受験機会を年2回から1回に減らしたのは4年ほど前です。Aレベルの試験を2段階に分けてアプローチし易くした工夫も再び1段階に戻しました。

 (3)ドイツ 
 ・ドイツのギムナジウムもまた伝統的な進学型中等教育機関として有名です。その後期課程にも大学への進学準備課程が置かれています。それがどれほど重視されているかは、アビトューア資格に占める成績の割合を見ると分かります。アビトューアの資格取得は900点満点のスケールですが、その600点はギムナジウムの後期2年間の成績です。アビトューア試験の成績は300点を占めるにすぎません。試験でよい成績をとることも大事ですが、進学課程をしっかり学ぶことがそれ以上に重要視されています。
 ・近年は、より多くの若者が大学をめざせるよう、職業教育と普通教育を統合する努力が重ねられてきました。そのためには職業資格や職業訓練を普通教育に読み替える仕組みをつくらなければなりません。「コペンハーゲン・マトリクス」と呼ばれる枠組みはこの読み替えシステムですが、仕組みができたものの、どの程度機能するかは未知数です。

 (4)フランス 
 ・フランスではリセが伝統的な進学型中等教育機関です。大学進学資格試験となるバカロレアはリセの修了資格試験であり大学入学を許可する資格でもありますが、リセの教育のすべてを評価する試験ともいわれています。(普通)バカロレア試験は1808年にはじまり、60年後の1968年には短期高等教育進学のための技術バカロレアが導入されました。さらに1985年には職業バカロレアが導入されています。3種類のバカロレア資格を合計すれば、年齢人口の65%(2012)を超えるほどに大衆化が進んでいます。もはやバカロレアは要らない、国費の無駄遣いだといわれるほどです。そうしたなかでフランスの大学もまた、大学の魅力と競争力を高めるために、次々と大学の合併・統合が進められています。日本ではそれほど話題になりませんが、フランスの大学、高等教育は大変革期のさなかにあると言ってよいのでしょう。

 (5)韓国 
 ・韓国の高校は受験競争の緩和を図るために、公立高校の入試を単独選抜から総合選抜に切り替えました。学校間格差をなくし高校成績を大学入学者選抜に利用することが目的です。日本の推薦・AO入試に該当する「随時入試」も導入され、入学査定官(アドミッション・オフィサ―)も導入され、学力偏重にならない、総合的な合否判定をする努力が続けられています。
 ・従来の学力選抜は定時入試と呼ばれていますが、随時入試が定時入試よりも早く実施されることもあり、随時入試で定員の大半の合否が決まってしまいます。ソウル大学では随時入試(地域選抜枠を含む)ルートが合格者の8割に達するといわれます。随時入試が主流を占め、受験競争が緩和されたかというと、そうした声は聞かれません。随時入試の普及により、それぞれの大学固有の試験が増え、複数の大学を併願するものはその準備のために受検者の負担はむしろ重くなっているといいます。
 ・わが国の関心からすれば、修能試験の役割が著しく減ったことに驚きます。随時入試では修能試験は足切りに使われる程度です。定時入試では修能試験が主要な選抜資料ですが、定時入試の縮小とともに修能試験の衰退に驚きます。他方「入学査定官」の普及についても、評価の客観性がどのように担保されるのか、詳細についてはなかなか情報がありません。


Q2.今次の高大接続=大学入試の課題はどこにあったのでしょうか?
 ・高大接続=大学入試ではない、という議論に進めなかったことが最大の欠陥ではないでしょうか。英、独、仏のいずれの国も、大学は専門教育の場です。高大接続の目的は何かといえば、中等教育と専門教育を繋ぐプロセスであるというのが順当な解釈だと考えます。アメリカでは、大学院が専門教育を行うので、学士課程と大学院をつなぐプロセスが重要な接続課程ということになります。それがいわば高大接続に該当する。
 ・日本には戦後、単線型の学校体系が導入されましたが、新しい学制はじつに短い期間で実施に移され、スタートしました。単線型というのは分かりやすく、いかにも教育の民主化を体現した学制として社会に受け入れられたのだと思いますが、中等教育と大学教育の接続をじっくり考えるほどの時間はなかった。その結果、大学入試がその溝を埋める羽目になった。つまり、日本の高大接続を改革するには、学校体系のこの欠陥部分をどう埋めるかということから議論をはじめなくてはなりません。
 ・日本の学校教育法では、小学校から中学校、そして高校までは「積み上げ」教育と記されています。これに対して大学は「学術の中心として広く知識を授けるとともに、深く専門の学芸を教授研究する」となっています。学校教育では人類が蓄積してきた揺るぎない知識や技能を学びます。これに対して大学では、現在進行形の知識や技能を学ぶのが主たる目的の場です。また研究として既成の概念や知識を覆すような知的経験を経ることも大学での学びの醍醐味です。
 ・教育再生実行会議は、大学入試の受験者にのしかかる不安や緊張を軽減することをスローガンに掲げました。「一発勝負からの脱却」や「一点刻みからの解放」という言葉にそれが表現されていますが、なぜ一発勝負、一点刻みが問題なのか、そこに遡らなくては高大接続の議論にはなりません。共通試験を複数回実施するとか、得点の段階別表示することで問題は解決されるでしょうか。
 ・百歩ゆずって、教育再生実行会議の主張を従来よりももっと妥当性、信頼性の高い試験を実施せよという提案だったと解釈することもできないことはない。項目反応理論を万能ツールであるかのごとく振り回したのはそんな想定もあったのかもしれない。しかし付け焼き刃のテスト理論は測定の専門家や試験の実務家から批判を浴びせられ、棚上げされるか、先延ばしされるしか手はなくなりました。
 ・他方、中央教育審議会は多くの時間を「学力の再定義」に費やしました。最初は活用力、つぎは合教科・合科目、さらには「学力の三要素」と称する思考力、判断力、表現力、それに主体性、協働性等です。これらは学校教育法の小学校の教育目標に関連した条文から一部を切り取っただけにすぎません。IRTだ、CBTだ、学力の三要素だといろいろ表現を変えてみても最後まで改革の目玉ははっきりとしなかった。「記述式」の出題、民間の英語四技能試験に執着したのはどこかに改革のポイントを見つけなくてはならない、その必死さゆえでしょう。
 ・5月16日の新テストの実施方針(案)によれば、記述式は2020年の新テストから出題する。英語四技能にはA案、B案の2案があり、A案は2024年以降の共通テストでは英語を廃止し、民間の資格・検定試験(認定試験)のみを活用する、B案は2023年度までは新テストに英語を残し、共通テストの英語と民間の資格・検定試験の双方を選択利用する、という内容になっている。しかもこの四技能の民間試験の認定は「入学者選抜に活用するうえで必要な水準・要件を満たしているものを入試センターが認定し、その試験結果、段階別表示を要請のあった大学に提供する」となっている。そんなことが可能かどうか、疑問ですが、これについては後でまた触れます。
 ・次期学習指導要領は新テストに寄り添ったかたちで進められていますが、ここでも学力の三要素なるものはじつに安易に使われています。高校までに培われる思考力や判断力、表現力が、大学や社会で求められるものと同じだという前提のままで指導要領も展開されています。敢えて否定はしないが、単純化しすぎではないか、という疑問が残ります。これが成り立つのであれば、高大接続の議論は単純な話です。
 ・大学で必要とされる知識・能力には高校までの教科・科目とは違う、思考のスタイル(Discipline)がある。だからこそ、諸外国では進学準備の課程が設けられ、その接続を重視していたのではないのか。その趣旨を吟味することなく、高校までの教育の延長で大学教育を捉え、新テストの方向を論じるというのは短絡的に過ぎるのではないか。


Q3.文科省の高大接続改革シナリオがこの5月16日に公表されました。
   どのように評価されますか?
 (1)「学びの基礎診断」について 
 ・教育再生実行会議で提案された達成度テスト(基礎レベル)は高校教育の改革をめざすという内容した。にもかかわらず、具体的には高校2〜3年で複数回実施する全国試験という提案でした。高校教育の改善を考えるなら、はじめに入学段階の学力を診断し、そのうえで学年進行とともに教育の効果を判定する必要があります。この想定がない提案はとても、高校教育の改善案とは呼べぬものです。入試に使うとか使わないという議論以前の問題です。
 ・それでも、意外なことに今回の「学びの基礎診断」と題した実施方針(案)は上記のメカニズムを含んだ内容に変化しています。PDCAという用語の使い回しはいかにも文科省的ですが、高校教育を改善するという意思が垣間見えるかたちになっています。検討を重ねた甲斐があったというべきでしょう。しかし残念なことに、もはや「学びの基礎診断」に注目しているひとは例外的にしかいない。マスコミも「大学入学共通テスト」のほうにのみ注目している。高校教育の改革を進めるというなら、文科省もこの提案の宣伝にもっと注力すべきでしょう。

 (2)「学力」について 
 ・「学力とは何か」という問いに答えることは容易ではありません。ここでは、とりあえず「学校教育の中で育成される知識・能力」だと定義します。あらためて、大学教育に必要な「学力」とは何か、を考えると、参考になるのは共通第1次学力試験のときの5教科7科目です。ここには大学教育と高校教育双方への配慮が見えます。高校教育の水準・内容を無視して、ただ大学の側のエゴに偏った戦後の大学入試に比べれば、ここには大学側から高校教育への歩み寄りが見られます。とはいえ、大学は全面的に学習指導要領に譲歩したわけではなく、1985年の共通1次試験の数学にみられるように、その出題範囲は学習指導要領の必履修科目の範囲だけに限定されているわけではない。この辺りは大学としての面目が見られます。
 ・今年、2017年に告示された小学校・中学校の指導要領、2018年に告示が予定されている高等学校学習指導要領は、従来に比べてずいぶん盛りだくさんになり、抽象度の高い表現が増えました。資質・能力を強調しようとすれば、抽象的にならざるを得ないところもありますが、実現には現場の教員の理解、実践がなくては絵に書いた餅にすぎません。

 (3)「共通テスト」について 
  1)記述式問題 
 ・すでに多くのテスト測定の専門家が指摘しているように、大規模共通試験とくにハイステイクスな選抜資料となる試験に記述式の出題をするのは、その利点を活かすことにはなりません。その公平性を確保するためだけに、無用の経費と時間、労力を費やすことになります。
 ・記述式の出題では、同じ問題であっても学力上位者が受験する場合と下位の者が受験する場合とでは採点基準も異なるのがふつうです。記述試験の採点の際にはまず受験者の解答傾向を見て、その上で採点基準を定め、当該受験者集団の特性にしたがって採点の公平性を図るというのが筋道です。
 ・したがって、記述式の出題を大規模試験に導入し、共通の採点基準を強要することは記述式の趣旨に反してひどく粗っぽい採点しかできない結果になります。ヨーロッパの試験が記述式だから日本の共通試験でも記述式をやるというのは理屈になりません。結局、条件付き穴埋め式のような問題しか出題できないのであれば、はじめから穴埋め式にするほうが採点コストもはるかに安く済む訳です。
 ・「試験によって高校以下の教育を変える」という関係者の主張も耳にするが、目的と手段を取り違えた話です。さらにいえば、記述式の出題では、出題数が限られ、出題範囲が限定されるという短所がある。共通試験のように幅広く基本的な知識・技能を試す目的では出題数の多い多肢選択式を採用することの方が優れています。
 ・日本の共通試験は自己採点により2次の個別大学出願を決める仕組みになっています。本来的に成績は受験者に事前に通知されるべきですが、スケジュールの関係でそれができない。このことも記述式を出題することが望ましくない理由のひとつです。記述式の成績は段階別表示です。一点刻みの得点に段階別の成績を混入させれば、自己採点に揺らぎを生じます。記述式の問題は採点結果と自己採点結果が不一致になるケースが高い。そのくせ、配点は高いという特徴があります。そのズレが出願の判断を迷わせます。成績の事前通知もできず、採点のクレームも受け付けないという条件下で記述式を導入するのはマイナスがきわめて大きい。
 ・大規模共通試験での記述式の採用は、記述式の利点を活かせないばかりか、採点時間を長くし、採点の信頼性を損ない、人海戦術に頼るための膨大な経費が要ります。それらの点を考慮すれば、大規模共通試験は多肢選択式で行い、個別試験において記述式を出題するという従来の方式が優れているでしょう。記述式出題を出題することで「教育を変えたい」なら、大学側に個別試験で記述式を出題するように働きかけるのが順当な方法です。現在の実施方針のまま新テストを強行することは学力のそれほど高くない受験者層にとってより多くの不安を募らせることになります。共通試験の受験料もおそらく高騰することでしょう。段階別表示により自己採点の結果も揺らいでくるとなれば、新テストへの参加大学数が減ることも予想されます。
 ・新テストの実施、採点時間を考慮すると、高度な記述式問題を出すことは事実上困難です。採点基準も3〜5段階程度で評価しなければならない。受験者のトラブルを避け、不評を買わぬためには問題は易しくせざるを得ない。実施方針(案)に添付されたモデル問題もけっして難しい問題ではない。それでは何のための記述式の出題なのか。やはり動機の不純さが浮き上がってしまう。選抜性が高い大学にとっては記述式の出題そのものの意味が乏しく、下位の大学にとっては受験料コストが高くなるだけというマイナスが露わになってくるだけです。
  2)英語問題 
 ・実施方針(案)では、A案、B案のいずれも民間業者の四技能試験の利用が前提になっています。勿論、それらを入学要件とするかどうかは各大学・学部の決定になりますが、文科省は民間業者の四技能試験の利用を推奨しています。民間業者の各種試験を認定するのも、そのデータを各大学・学部に配信するのも大学入試センターの役割ですが、民間業者の得点変換表の作成などが本当にできるのかどうか、疑問です。
 ・資格・検定試験を受ける人々の目的や動機はさまざまです。標準化試験(Standardized Test)の前提は基準集団が特定できることですが。そうした意味では民間の資格・検定試験の受検者はさまざまです。時期によっても集団の特性が異なります。外国留学を目的とする受検者もいれば、職場の昇進を目的に受験するひともいる。高校や大学で実践英語を学ぶためのひともいます。
 ・実施方針(案)では新たな資格・検定試験の開発を民間業者に要請することはしない、と述べている。だとすれば、民間試験が高等学校の指導要領の目標を充足しているかどうかは甚だ疑問です。民間では、複数回の実施を前提にする試験を実施していますが、基準集団が確定できない環境でどうやって複数回の試験の尺度を等化することができるでしょうか。受検者の構成は毎回違うのですから、同じパラメータが割り当てることはできないはずです。学習の目安としての試験ならば許されても、入学試験の一部としてそれを使うのは疑問が残ります。
 ・英語の四技能試験ではCEFR(ヨーロッパ共通参照枠)に準拠して、出題、採点を行うことになっています。CEFRはA1からC2の6段階ですが、大学入試に該当するのはA2、B1、B2、C1の4段階と考えられます。これ以上に細かくすれば、業者間での調整は難しいでしょうし、またこの4段階では足切り程度にしか使えないことになります。その程度の英語の評価でよいのか、やはり疑問が残ります。そもそも、大学入学段階で必要な英語力がどの程度なのでしょうか。
 ・センター試験の英語の筆記試験は筆記試験であっても、そのなかで四技能を試すように設計されています。発音も会話も作文力、読解力もそのための問題が用意されています。リスニングは現在のところ筆記試験の補完です。結果として両者の相関は非常に高い値になります。
 ・実施方針(案)のA案では、新テストからセンター試験の英語を廃止することが提案されています。英語は民間の試験で十分だという理解のようですが、英語はセンター試験6教科30科目の要の科目です。受験者が最も多い科目であり、受験者の総合学力を推定する有力な資料になります。そのため、科目間得点調整の方法をさらに改善していく場合にも英語はなくてはならない教科(データ)になります。センター試験のそれ以外の教科・科目は全受験者が一部しか当該科目を受けていないというのが実態だからです。
  3)結論  
 高大接続改革と称しながら、今次の改革で議論されたことは何なのか。高大接続をまともに論じてはいないのではないか、というのがこの論考が行き着いた結論です。政策責任者、行政当局者は惰性に流れず、誠実に課題と向かい合って欲しい。主体性と思考力と判断力が大事だというなら、それを発揮するのはいまではないか。国民が注視しているのは当局者にその資質・能力があるかどうかということです。


 ※次の直言も、ご高読願います。
■<6>入試センター試験と新学力評価テストの検証のポイント

■<8>高大接続・大学入試改革の論点整理[Q&A]

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