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武漢肺炎(新型コロナウイルス)蔓延という敗戦
〜 奇禍を奇貨にする方略を国史から見い出す 〜


池 田 憲 彦
元 拓殖大学日本文化研究所 教授
附属近現代研究センター長


  はじめに:なぜ、今の事態を「敗戦」というのか!
 5月14日、政府は全国の緊急事態宣言(以下、宣言)から39県の解除を発表した。事態は新たな次の段階に入った。暗中模索が基調である。
 ポスト・武漢肺炎(新型コロナ)の特徴は、常識の逆転現象にある。
 米日経済への寄生から始まった中国経済の急速な台頭により生じたグローバリゼーションへの期待と幻想が、一発の感染症によって急速に萎んでしまった。ユーラシア大陸を統合して敵うもののなかったモンゴル帝国が、雲南省に発したペストにより萎んだように。しかし、一帯一路を掲げる中国はモンゴルの轍を踏む気はない? 各国は自国の安全を最優先し、感染拡大を抑止するために国境を閉じて、ボーダーレスとは逆の動きになっている。

 日本が生き延びるために、どのような時代認識と政策認識で臨む必要があるかを予め考えてみたい。ここでは、これまでの日本社会で通用していた「常識」らしいものは、全てご破算にする必要がある。半年に満たないこの間の武漢肺炎が日本に上陸してからの政官選良の狼狽と、初期対応での後手後手ぶりの由来を見ればいい。最初は、横浜港に停留したクルーズ船への対応に端的に露呈した。危機管理にならない対応のその由来を訊ねていき、蔓延以後の列島での対応の仕方を国際比較すればいい。後述のように、発症元の中国と隣国である韓台両国の対応と日本を比較すると、事態は「敗戦」と見るとわかりやすい。
 これは奇禍である。奇禍という折角の機会を奇貨に転じ得る方策はないのか。ある、と確信する。日本人の叡智だ。副題にある国史の経験にある試行錯誤を参考にして、その経験知を再興する試みをしてみたい。

  (1)武漢肺炎でトランプ米大統領に同調しない安倍首相
 米国では大統領も現国務長官も、その発症元は中国であることを繰り返し強調している。トランプは、一種のイメージ戦略か中国の有責の希釈化に陳弁努めた、WHO事務局長の言説を取り上げて批判してきた。対して四の五のと抗弁する事務局長に業を煮やしたのか、WHO経費の15%を占める分担金を停止する、とまで発言するに至った。
 第三者的にみても、このトランプ発言は、現在の米国における惨状を見ると、妥当である。半年も経たずに現在の死者が17万5千人、さらに増大する。ベトナム戦争で米軍が軍事顧問団の派遣で関与した1961年から75年4月の撤退までの間の、米兵戦死者5万8千人を遥かに超えている。
 この停止発言に対して、大人げないと批判するいわゆる識者と称する者の発言がある。寺島実郎はTBSのサンデーモーニングで広言していた(0503)。一見すると尤もらしく聞こえる。しかし、この批判には当事者意識を感じることができない。中国の公表遅延を批判しなかったWHOにより、被害が拡大しているのは事実だから。WHOへの最大の出資国の元首としては当然の発言であろう。
 国家として2番目の分担金供出国は日本である。元凶中国はノールウエイより少ないくらいだ。これでもGDPで世界第2位。WHOの事務局長を初期情報隠蔽の故意に発する悪印象軽減の走狗にするのだから、大した外交能力である。

 隣国日本は、春節の中国人の来日による消費を当て込んで、入国停止の決定が遅かっただけでなく、決めても地域限定という姑息な手段に終始した。ために、結果的に今日の「緊急事態」を招来した。失政である。現在の新型コロナ担当大臣の西村康稔は経済再生担当大臣の際、インバウンドを強調して入国停止にブレーキをかけた一人。人命よりも目先の収益を優先している、とたしか2月頃に猛烈な西村批判をネット上で展開した論者がいた。ならば、現在の立場は、火付けが火消しをやっている、と言える。
 日本にとっては唯一の同盟国米国に対して、WHO批判には部分的に同調しても、中国批判には同調しない安倍首相の態度は、蔓延の直接的な原因には触れないのと同じだ。米中間での不徹底な態度が日本の「外政」としたら、米欧で起きている対中賠償請求のような告訴の動きには、どう臨むつもりなのだろう。
 武漢肺炎ウイルスの人間への仲介者はコウモリという説がある。日本は米欧と中国の間でコウモリの役回りを自発的に? 余儀なくされるのか。中国の世界での台頭の中で、そうしたあいまいさを“戦後保守”の行き方にしてきた。こうした習い性の外交スタイルが「戦狼外交」を選択する中国に今回以後も通用すると当事者が錯覚していると、やがては致命的な錯誤に至るだろう。

  (2)緊急事態宣言が鮮明にした“戦後保守”の限界 
 東アジアの現勢において、有事という分野から武漢肺炎の対応を見ると、極めて特徴的なことが鮮明になった。それは、発症元の中国と台湾、韓国の三国と日本を比較した場合の行き方の違いである。その対応で多少の違いはあるが、台韓は現時点で封じ込めた、といってもいい。
 中国も同じだろうか。本当に封じ込めたのなら、海外からの報道陣や調査団を受け入れ、自由に取材させるだろう。受け入れを拒んでいるのでは、いくら主張しても情報隠蔽は否定できない。対中不信を増幅するばかりである。
 SARSの経験で懲りた台湾の対応は理想的なものだった。韓国も抑え込んだようである。台韓両国について、社会整備上では日本より後進的と日本人は思い込んでいたが、今次の対応で中央政府の先進性が鮮明になったのを見落としてはならない。両国の危機管理は数段も日本より優れていたのである。この格差はなぜ生じたのかを問い、答えを見出さないと、「失敗の研究」が無いことになる。ここで、日本政府の学習能力が根本的に問われる。
 一例を挙げるとPCR検査態勢の遅れである。統治能力が疑われても仕方がない現実がそこにある。厚労相も御用専門家たちも弁解だけは多弁だが、事態への改変即応は遅々として進んでいない。課題の処理能力の低さは知れ渡っているにも関わらず、いたずらに日時だけが過ぎていく。

 鳥瞰すると、目前の課題処理に追われている現場はともかく、中間管理層における事態へのマネージメント能力が平時感覚に流れているのだろう。指揮統率をする中枢に有事意識が不徹底なところに起因している。日本政府は、先年の東日本大震災のような局地は別にして、多分、前例踏襲しか知らないで現在に至っている。参考にすべき前例が無いと、どうしていいのかわからない。結果、その都度の便宜的な対応のために、後手後手が日常化することになる。
 緊急事態とは有事である。ここまで報道が武漢肺炎一色になると、行政はともかく、国民は蔓延を有事として認識できるだろう。だが、日本には有事法制はない。だから、緊急事態と言われてもどこまで実感しているのか、台湾や韓国の人々と受け止め方に基本的な部分で落差があるのだ。
 一例を挙げれば、両国は兵役の義務があっても日本には無い。宣言を安倍首相が述べて事態の緊急性を度々強調しても、聞く側には、中台韓と日本の間には越えがたい落差がある。ここでいやでも鮮明になったのは、現行憲法の限界に拘束された統治スタイルを特徴とする“戦後保守”の限界である。初期には桜を見る会を優先していた野党のノーテンキぶりは、さらに程度が低い。
 首相が事態は緊急であるという宣言をするとは、国際的な慣例では戦時ないし準戦時であることを意味している。それと同時に有事法制が動き出す。日本にはその用意がないのは、首相が2度に亘り国民に向けた演説で、繰り返し述べたのは、ひたすら自粛要請の「お願い」であった。国際常識では、有事では非常大権を握った者は、国家を守るために国民に命令を下す。「命令」は当然に法制上の強制力を伴う。1945年の敗戦と降伏から始まった戦後は、そうした分野は占領軍が代行したために、無縁のままに75年を経て現在に至った。

  (3)1945年の敗戦から始まった戦後75年の終焉
 武漢肺炎と同工異曲の再来は、これからもある。早ければ今秋かもしれないし、2002年のSARSのように一定期間を置いて襲来するかもしれない。今次の奇禍を奇貨に出来ずに同様の対応をしていたら、スペイン風邪のような感染症の性質にもよるが、社会・経済の崩壊から亡国という事態もあり得る。
 その危機感が政権党や立法府の動きを見ていると、浸透して合意形成に至っていない。問題意識の共有もできていないのなら、危機管理に向けた法制面での対応など、先の先の話である。現在、日々起きている日常は、準戦時と受け止めても不自然ではない。それを法制上ではあり得ない現実に、どこまで政官選良は切実に受け止めているのやら。有事のための自衛隊関係者以外は。
 現行憲法は、前文と九条の条文で交戦権を否定し戦力の放棄を謳っている。国家存立の危機に即する法理が削除されているのだ。主権の無い占領下で「平和国家」を名分に制定されたのには、米国の対日政策に基づく占領軍による意図が働いていたのは、多くの実証資料が明らかにしているところである。
 この大前提を軽視して、当時の「国会」(主権が無い以上ありえない)で原案に多少の修正がされたのをもって、NHKの特集番組などで自発的な制定をしたかの世論誘導して、現憲法護持論者に協力している。これは物事の軽重を無視した偽情報の蔓延を意図するもので、いわば嘘(フェイク)の解説報道である。

 1950年6月に始まった朝鮮戦争は米国の対日政策を根本から変えた。対日講和が米国の主導で開始され、1951年9月のサンフランシスコにおける講和条約の調印になり、翌年の1952年4月に条約は発効し、日本は主権を回復した。
 占領中から占領当局の下で民意を代表し「国会」で多数派を構成していた“戦後保守”政党の自由党の総裁は吉田茂。講和条約も彼の主導で進んだ。米国の意図は朝鮮半島で展開している戦争に対応できる軍事力を備えた日本で、当時は再軍備と言われた。吉田は敗戦後の日本にはまだそのような余力はない、と判断した。占領下で制定された戦力放棄の「憲法」は、対米への格好の抵抗素材にもなった。その産物が現在の自衛隊になる警察予備隊の発足である。
 永井陽之助によって吉田ドクトリンと命名されるまでに至った、米軍の補完で良しとする軽武装での経済優先による安全保障政策をもって特徴とする、“戦後保守”の成立である。普通の国家になろうとするならば、主権回復した4月28日に、首相として占領下での全ての法令はご破算にする、と宣言しても法理上で許されたからである。主権を回復するとはそうした事柄であった。
 吉田はできることをしなかった。「平和憲法」の存続を放置した途端に、“戦後保守”が成立したのだ。後進の安倍首相が緊急事態を宣言しながら、ひたすら国民にお願いするしかないスタイルも、自前の安全保障を他国に委ねた選択をした吉田を創始者とする“戦後保守”の当然の帰結であろう。
 武漢肺炎への対処で台韓に遅れをとっても仕方ない。当面を凌げるのならいいのか。有事法制のない変則のままで収拾のつかない事態になったらどうする。その都度の超法規的な措置か。緊急事態だから法治は軽視でいいのか? 今回の奇禍はやはり“戦後保守”から脱却する根本的な再編の機会にする必要がある。では、日本生き残りのための出口戦略の構想を生み出す立脚点とは何か。

  (4)昭和天皇が留意した白村江・敗戦後の国家造り
 日本が1945年8月に敗戦の通告を連合国側にした一年後に、半ば幽閉の昭和天皇は、新旧の重臣を集めて茶会を開いた。米国主導の変革が多方面で展開している最中で、日本側にはそれへの対応策はなかった。天皇は、今次の敗戦は663年の朝鮮半島での白村江の敗戦後の故事に習うべきと、出席者に促した。
 僅かな記録に残る経緯とその評価はここではしない。近現代に至るも継承された古代日本での敗戦後の国創りの根幹は4つあることを想起すれば、陛下のご存念がどこにあったかは明瞭になるから。国号を倭国から日本に変え、天皇号を制定したこと。唐書によれば、大王であった。御神体が天照大神を象徴する神鏡の伊勢神宮での式年遷宮の制を定め、次いで持統天皇の即位の大礼で大嘗祭を斎行したこと、である。現代に至るも継承されてきた4つの制の背景を見極めると、日本文明の原形質が鮮明になる。近代日本では国体と評していた。
 現代の日本史家は唐の影響下での律令国家体制を築いたと片付けているが、国号や天皇号の制定は、国家日本の在り方を対内にも国外にも明らかにし、式年遷宮の制や大嘗祭の斎行は、唐文明の模倣ではなく独自性の根拠を鮮明にした。本を立てた上で、以後は全体の整備に及んだのは史実に明らかである。

 比喩的に言うならば、例えば仏教流入後の各地に創建された寺院にある五重塔を考えたらいい。あの建築の中核は宙吊りになっている心柱にある。ここに唐風の模倣ではない日本の気象を加味した独自性への探求と創意工夫の実証がある。唐風の即位礼は当時のグローバル・スタンダードで、皇統連綿を確認する大嘗祭は、いわば日本文明の心柱なのである。天皇にはそうした古代からの日本文明の営為への信があった。だから敵国米国から学べばいい、と故事に習い言えたのだ。その真意は参加した吉田ら重臣にどこまで伝わったのか。
 75年前の日本は米軍を主力にした原爆も含めた戦力に敗北した。開戦前の戦略では勝利できる構図もあったが、緒戦の勝利に幻惑されての調整で取り組まず、反攻が始まるとジリ貧に。大戦略を棚上げした戦力の逐次投入に見られる消耗戦にハマった。今次の対応にも見られる悪癖である。
 昭和天皇は最高命令権者としての「五内ために裂く」(終戦の詔書の一節)痛切な思いから一年を経て、千三百年前の敗戦の故事の想起を重臣に訴えた真意は、いまだに鮮明になっていない。しかし、コロナ敗戦という現実に、昭和天皇の思いと古代日本の国家創成の経験を前面に置くと、75年の戦後史の決算と今次の敗戦を踏まえた21世紀における新たに構築すべき日本文明像が透けて見えてくる。二つにわけて考えてみたい。対外と国内、そして両者は相関にある。

  (5)米中衝突状況での日本の外政の在り様
 可視的な当分の間、日本の国際環境は従来の態度で臨むならば、太平洋を挟んだ米中対決の間で右往左往することになる。武漢肺炎の蔓延という事実と記憶は、米中衝突の象徴として残る。トランプという個人の振る舞いに帰因させても収拾がつかない。大統領が変わっても米中対立の構図は消えないから。
 対立の基本要因は21世紀世界でどちらが優位に立つかの覇権争いなのだ。この戦いでは、核戦争以外のあらゆる戦法がとられるであろう。超限戦である。双方は死力を尽くす消耗戦になる。巻き込まれて得るところは少ない。
 中共党は世界戦略として提起した一帯一路構想を引っ込めるわけにはいかない。引っ込めたら中共党の外政は破綻する。この構想に関わる各国を繋ぎ止めて外交資源にし、対米牽制に投入するしかない。WHOの事務局長が北京を窺うのは、母国が一帯一路のドツボにはまっているからだ。
 だが、一帯一路の美名の裏側で実際に起きている現実は、現地の人々による怨嗟の声である。中国から連れてきた囚人を労働力に用いて、事業が終わると放置するなど、信じられない現実がアフリカで起きている。

 日本がすべきこと、ないし日本にしか出来ないことは目前にある。中国がやり散らかした後始末を、相手が求めてきたら淡々と地道に処理したらいい。中国のようなサラ金手法の金融面ではなく、人材育成を含めた社会基盤整備の分野である。系統立った人的な資源の提供が「戦略的」に求められている。
 従来の要請対応型は終わりだ。従って過去のしがらみで雁字搦めのODAを所掌するJICAには無理だろう。米中衝突の間での取り組みである以上は、高度のインテリジェンスが先行する領域だから。だが、主権回復後の60余年、有事法制が無いのと同様に、対米追従が原則な日本外交には、インテリジェンスは公然とは必要としなかった。従来の外務省の役割は終わったのである。
 この取組みでの精神的な在り様は、75年前の終戦の詔書にあった「万世のために太平を開く」にある。別意では一視同仁である。上皇陛下は皇太子の時代からJOCV(海外青年協力隊)に殊の外お気持ちを注いだのは、先帝・昭和天皇の国際社会へのお気持ちの意を体していたからと拝察される。“戦後保守”を離脱する取り組みは、次項の国内での社会・経済改造と表裏の関係になる。

  (6)大都市偏重の生活様式からの脱皮による国造り
 パンデミック(世界的な大流行)になった武漢肺炎という感染症に、大都市圏が脆弱なのは、都市封鎖(ロックダウン)は武漢に始まりイタリアでも、NYも外出禁止などの事例など、すでに日々実感しつつある。
 宣言後に首相や知事のいう在宅・自粛要請に国民が素直に従っているのは、従来の生活行動をすると危険なのを感じ取っているからだ。関東圏や関西の大都市圏のデスクワークの会社員は在宅勤務をAIを用いて可能とするようになった。機械に接する製造業や対人サービス業はこのようにはいかないが。
 大都市への過度の集中は、景観は勿論、国土経営から観ても不自然なことが、自粛を通して予感されるようになった。一極集中の危うさは1977年秋に閣議決定された第3次全国総合開発計画(三全総)の指摘するところだった。しかし、現実は以後も益々集中が進んだ。いまや首都圏に人口の3分の1が生活している。過密・過疎を言われ始めて半世紀に近い。国土は不均衡に喘いでいる。
 現在の国家日本は、3つの弱点を有している。安全保障で沖縄の基地を主力にした米軍への依存。エネルギー源の原油は9割以上が輸入に依存。ホルムズ海峡に問題が起きるとお手上げである。最後は食糧だ。計算の仕方にもよるが自給率は4割。輸入が止まると餓死者が出る。農業従事者の平均年齢は、これも線引の仕方によるが専業農家の平均年齢では70代、先細りで、伝承が途絶える。
 継続して隣国から襲来する疫病による現象や対策としての都市封鎖にも強い国土空間を再編しないと危うい。思い切った大戦略構想に取り組める天与の機会に遭遇している。方向と意志さえあれば、奇禍を奇貨に転じ得るのだ。

 計画期間は半世紀ぐらいにして、大雑把に20年の間に一千万人の家族や単身が計画地である地方の第2の居住地に移動する。そこで少なくとも自宅消費分の米作に従事する環境を作る。専業農家を作るのではない。近代国家の基本であった国民皆兵を今後は国民皆農、ただし兼業ではない兼農。都市での就業の場や住居はそのままにしていい。在宅で就業できるのなら距離は問題ではない。
 農地はある。全国各地に広がる耕作放棄地。再編を可能にする新しい法制を整備すればいい。兼業・専業を問わず農地を手放したくないのなら所有権をそのままに、利用権と分離して補償すればいい。知恵は無限、やる気の有無だ。
 地方での居住地創成という就業の場に、アジア・アラブ・アフリカの開発途上諸国の青年が日本人と一緒に作業できる工夫はできるはずだ。この新たな国土空間の創成に従事する機能集団の戦力造りには、イスラエルのキブツが参考になるかもしれない。そして、かれらが帰国したら、首都に集中しているスラム街の住人が故郷にもどり就業できる場造り、それも小規模な計画に就業する工夫をする。その予算は日本のODAを基調にする。サポーターは日本で第2の居住地造りに従事した日本青年である。外務省の所管にならなかった以前のJJOCVの本来の創立精神への回帰だ。外交一元という迷妄はすでに使用期限を終えている。既存のそれは一旦はご破算にしての再編である。

 新しい国土再編の入り口造りだ。GDP一年分500兆円ぐらいの日銀引受の国債を発行して財源にする。今の日本の国力に十分な支払い能力(ソルバンシー)はある。予備費は、いざとなれば、やはりGDP相当分の企業がもつ社内留保の積立金もある。これらの財源は、すべて日本という国あってのもの。そして、先の敗戦での300万人余の死者を戦後は無視して築いたものである。これからの危機に対応する新しい国造りの戦費にしてこそ、彼らの死も生きるのだ。


令和2年8月20日




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