私はベトナム戦争が終わって5、6年後、沖縄JA(農協)のメンバーと農業の調査にベトナムに行った。日本の中で、沖縄は唯一の、ベトナムと同じ亜熱帯地域であり、親近感を持たれていると思っていた。調査は1週間で終わり、最終日には両者のお別れパーティーをした。その中で親しくなったと思っていた人から、意外なことを言われた。「沖縄は悪魔の島です」という言葉であった。B52爆撃機が沖縄の嘉手納基地から来て、ベトナムに爆弾を落とし、そしてまた沖縄へ帰って行った。まさにその通りだ。私はその時、何があっても再び沖縄を「悪魔の島」にはしないと、その人にも、自分にも誓った。
ところが今、日本政府は沖縄・辺野古に、人殺しをする新たな米軍基地を作ろうとしている。この米軍基地ができれば、100年近くはアジアの安定を脅かすことになる。何が何でもこれを止めさせねばならない。
沖縄県民の80%が反対し、辺野古の海でも陸(キャンプシュワブ)でも基地建設反対運動を継続的に展開している。座り込みも、本日、3,831日目を迎えた。しかし、日米両政府は強行しようとしている。日本政府は米国との条約を優先しているが、憲法9条に反する条約自体が無効なのは明らか。10月には辺野古反対の県庁包囲集会に3,600人が集まった。これを無視して米軍基地建設を強行するのでは、別の対抗戦略が必要だ。
それは米軍が最も恐れている、嘉手納飛行場における作業のサボタージュ、ボイコットだ。辺野古の米軍基地を強行するなら、私たちは嘉手納基地のゲイトの封鎖をすることだ。私はもちろん、包囲になればすぐにでも駆けつける。
その、米軍の恐れている理由を明らかにしよう。この嘉手納飛行場は日本最大であり、総面積20Kuで3,700mの滑走路を2本有し200機近い軍用機を持つ極東最大の空軍基地である。そして、「直接戦闘、それに作戦が実施される主要作戦基地」(『米軍再編』)となっている。そして嘉手納弾薬庫と合わせて「いつ戦争が勃発しても、その緒戦に備えて常時整備、貯蔵しておく責任を負っている」(『情報公開法がとらえた沖縄の米軍』海林宏道、高文研、1994年)のである。この基地の機能を支えているのは約9,000人弱の軍雇用の沖縄の人々だ。そこで、違法でない形でサボタージュ、ボイコットで、辺野古反対スローガンを示せないだろうか。これによってはじめて、今こそ沖縄県民と軍雇用者との連帯が可能となり、軍雇用の意味、すなわち真の意味での日本に対する防衛の存在意義を明らかにすることができる。
以前、上原幸助氏(全沖縄軍労働組合の初代委員長、後に元・沖縄開発庁長官)と座談会(『地域開発』’96.9)したとき、嘉手納飛行場の役割をいろいろお聞きした。基地内における人種差別(当時、米国人、フィリッピン人、そして日本人の順)のトイレの区別、給与、等の差別を、上原氏をはじめとする労働組合結成によって無くした。しかし、上原氏は組合員が米軍の雇用であるということで、今一つ沖縄に対する誇りを持てなかったことを残念がっていた。
ところで、嘉手納飛行場で働いている軍雇用員(現在は全駐と官公労)は、米軍基地のためだけに、日本政府から国家公務員に準じた給与、諸待遇を保証されているのではないと思う。沖縄と日本の将来のために、さらには東洋のガラパゴスと呼ばれている辺野古の海の保護ができるチャンスだ。今こそ、軍雇用者の非暴力のサボタージュにより、沖縄住民、日本人から尊敬されることだろう。
具体的に米軍用機を直接に扱うのは、細かなマニュアルによる役割分担により9,000人の3分の1程度、3,000人弱に限定されていると思われる。この方々と協働するとともに、他の6,000人も、いろいろ精神的・間接的に支援できる方策はあると思う。
沖縄、いや日本人が将来アジアの平和にとって最も有効な辺野古基地反対の手段として、嘉手納基地への反撃を、軍雇用者と連帯して内と外から具体実践することを提言したい。
(沖縄大学名誉教授・大学院非常勤講師 那覇市、71歳)
[編集子より]
吉川博也氏は、長らく大学教員(日本大・筑波大・沖縄大)を本務とするとともに、環境・地域振興のシンクタンカー&アクターとして活躍しておられます。沖縄には、1970年代から月1回は出向くとともに、95年には移住し、40年余にわたり、“沖縄振興”に係る戦略提言と数々の実践を積み上げています。
ヤマト(本土)にいては、マスコミの非力もあり、沖縄の情況は見えてきません。是非とも下記の吉川研究室のHPをご高覧願います。また、本コーナーにおいても、「沖縄・南島だより」を不定期に連載して参ります。
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