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                                           (2012.6.8)

 

駒澤大学、運用損失約170億円の賠償請求について考える(2)
〜学校側の運用者責任−“公金”の素人運用が許されなくなる日〜


梅本 洋一
インディペンデント・フィデュシャリー(株)


【あらまし】
◆「駒澤大学の賠償請求」が今後の学校法人資産運用に発するもう一つのメッセージ
◆為替スワップ運用におけるAA法人のお粗末なリスク管理
◆学校法人が運用知識、経験の未熟さを言い訳にできない理由
◆事例〜“公金”でそのような債券運用が許されるのか?


◆「駒澤大学の賠償請求」が今後の学校法人資産運用に発するもう一つのメッセージ
 各紙で一斉に報じられた「駒澤大学の賠償請求」のニュースが学校法人資産運用一般に発しているメッセージは2つある。一つ目は、銀行や証券などの金融商品販売業者が当然負うものとされる「適合性の原則」からの責任であり、前回のコラムでは、これを他山の石として、全ての学校法人はこれまでの資産運用取引を今一度点検すべきということを述べた。

 今回は、2つ目のメッセージである「学校側の運用責任」について考えてみたい。平たく言えば、今後については、素人に“公金”の運用管理をさせておいた結果とも言える「みっともない賠償請求」なども、ますます認められる余地が小さくなると考えたほうがよいということである。


◆為替スワップ運用におけるAA法人のお粗末なリスク管理
 前回のコラムの述べたとおり、リーマンショック直後の頃、別のAA法人から同様の為替スワップ取引による損失処理について相談された時、「これはどう考えても適合性の原則の違反に思えます。泣き寝入りしないで、証券会社を訴えてみるべきです。」と申し上げた。

 当時AA法人が行っていた為替スワップ取引とは以下のようなものだった。この取引契約からは多くのインカム収入が得られ、契約の終了時には差し入れた契約保証金は100%返還される。ローリスクかつハイリターンな取引であると、この法人は安易に考えていたようであった。その保証金を担保とした「想定元本(通常は担保の何倍かの金額)」を基準に計算されているので、インカム収入が多いのは当たり前である。

 ただし、「想定元本」は為替に比例して変動するので、差し入れた“少額の保証金”だけではすぐ担保割れを起こす場合もある。その場合、スワップ契約を継続する為には、「想定元本」の評価損をカバーする追加担保を差し入れる必要がでてくる。リーマンショック前はおそらく、為替は$/¥100円を大きく割り込まないだろうと思っていたのだろう。この法人の契約条件がそれを物語っていた。

 しかしながら、$/¥100円を割り込んだと思ったら、あっという間に90円、80円にまでなってしまった。「想定元本」の評価損はあまりに巨額に膨れ上がり、スワップ契約を継続するための追加担保、保証金の用意にも困窮している状態だった。


◆学校法人が運用知識、経験の未熟さを言い訳にできない理由
 一義的には、このような取引を黙認あるいは積極的に持ちかけた金融機関の責任は無視できない。しかしながら一方で、ローリスクかつハイリターンというまるで『おとぎ話』とも言える投資案件に“公金”の管理者たる学校法人が安易に乗っかってしまうような事態は今後いつまで許されるのだろうか。

 金融や資産運用の知識や経験はさほど無いが、善意だけはあるという資産運用では、もはや“公金”の運用管理者たる資格はないのである。今後ますます学校法人資産運用には“公金”の運用管理者たる資質が厳しく問われることは避けられない時代になると考えた方が良い。

 以下、乱暴な表現はお許しいただきたい。
 騙す業者と騙される投資家がいたとすれば、騙す業者が悪いのは言うまでもない。特に、投資に関する知識・経験などが未熟な個人投資家に対する金融業者の「適合性の原則違反」の責は非常に重くなる傾向がある。なぜなら、個人投資家レベルでは金融業者に対抗するだけの知識・経験をにわかに蓄積したり、その対応策を首尾よく準備したりすることが難しいからである。善意の個人投資家の不注意を責めることは難しいのである。

 しかしながら、法人投資家においては状況が個人の場合とは異なる。業者に対抗するだけの知識・経験のある人員を配置する、外部顧問を雇うほか、対応策はいくらでも打ち得るのである。つまり、個人投資家はなかなか対応できないが、法人投資家は組織として資産運用や業者への対応力を高めることはいくらでもできるのである。ましてや、学校法人が“公金”の運用管理者という立場でもある以上、あたかも善意の素人投資家であるような言い訳に甘え続けるようなことは本来許されないのである。

 先のAIJ投資顧問の事件においても、悪質な業者の責任追及は勿論ではあるが、「“公金”の運用管理者である年金基金がなぜ見抜けなかったのか」という問題が同じくらいに大きくクローズアップされた。今後、それと同じ目線で、学校法人資産運用も見られるようになってくると思った方が良い。


◆事例〜“公金”でそのような債券運用が許されるのか?
 『・・・これはリスク管理できないのに公金を運用していることと同じである。債券の損切り(ロスカット)ができないなら、日本国債や預貯金以外で運用してはいけないと思う。』(『公益法人』2012.4月号掲載 「公益法人のための資産運用入門12」より 原文は http://www.i-fiduciary.co.jp/partners-view/%E5%AF%84%E7%A8%BF%E3%80%8C%E5%85%AC%E7%9B%8A%E6%B3%95%E4%BA%BA%E3%81%AE%E3%81%9F%E3%82%81%E3%81%AE%E8%B3%87%E7%94%A3%E9%81%8B%E7%94%A8%E5%85%A5%E9%96%80%E2%91%AB%E3%80%8D-%E9%81%8B%E7%94%A8/ )

 会計や決算におけるカウントがしやすいことから、多くの学校法人は円建て債券運用を中心としている。さらに、近年ではこれら学校法人債券運用に占める日本国債や本邦公債以外の債券、すなわち社債などの割合が非常に多くなる傾向がある。
 そして、仕組債投資、東電債、ノルウェー輸出金融公庫債などの事例で明らかになったように、日本国債や本邦公債以外の債券の取得判断やその後のリスク管理は特に難しいのである。ところが学校法人は相変わらず安易な債券運用を続けているように見える。

 すなわち、(1)債券に付与されている“信用格付け”の他、発行体についての“世の中の定評や評判”などを基準に取得する個々の債券の安全性を判断する。(2)(1)の条件さえクリアされていれば、候補となる債券の中から条件がより有利なものを選択しようとする(少しでも運用収入が多い債券あるいは運用期間の短い債券など)。

 ところが取得債券についての“信用格付け”や“世の中の定評や評判”は変わりやすい、償還時までの債券価格の安定、利払いや償還金の確実性とは厳密には無関係である。先の仕組債投資、東電債、ノルウェー輸出金融公庫債などはそれが顕在化したほんの一例である。

 また、このような債券運用の危険性を知ってか知らずか、少なくとも保有する社債などの時価を時系列でモニターする習慣も殆どの学校法人においては無い。よほどの事態が起こってからでないと帳簿価額、取得価額以外を注視すること無い。

 更に、このような債券の取得判断はプロでも見通し通りとはいかないものである。その場合、最悪の事態を想定して債券をロスカットすることが唯一の損失限定の手段となる。しかしながら、場合によってはロスカットが唯一のリスク管理手段となり得るような種類の債券運用を自ら行っていながら、対応するロスカット・ルールもない、あるいは形式的なルールは備えていても「評価減処理はできるが、実現損処理には抵抗がある。」、「役員や監査法人を納得させる理由がいる(説明が出来ない)。」、「格下げ等が明らかになった時点では、既に価格が下落してしまっており、損切り(ロスカット)できない。」「損切り(ロスカット)すべき時期について判断が難しい(判断が出来ない)。」など、本気でリスク管理する覚悟があるのか疑われる。

 それが証拠に所謂“不良債券”“問題債券”になってしまっても、可能な限り“評価替え”で済ませようとし、問題のリスクそのものは切り離そうとはしない。つまり、一旦社債などを取得してしまったら、いよいよダメになるのが明らかになるまで、あるいは、ダメになったのが明らかになっても、抱え続けようとする。こんな無責任な債券運用が多くの学校法人資産運用の実態である。


 上記はほんの一例であり、“公金”の運用管理者としての資質を疑うような学校法人資産運用の事例は他にもたくさんある。今回の駒澤大学の賠償請求のニュースは一方で、もはや学校法人側の運用知識、経験の未熟さを言い訳にできない“公金”の運用管理者としての重責を負っていることをそろそろ自覚して対応すべきというメッセージを我々に発しているのである。
                                                  以上


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