大学等の設置認可申請業務を振り返ってみれば、文部科学省の行政もそれなりに改善がされてきた。1980年代以前の申請書類は金文字・黒表紙の重々しい書類であった。和文タイプの謄写版で作成された書類の時代を知る者にとっては、随分と便利で簡素化された書類になったとは思う。設置認可申請業務では過労で死人が出るといわれた時代から変化してきたことは事実である。
さて、現今の大学等の設置認可申請については、文部科学省高等教育局大学設置室発行の『大学の設置等に係る提出書類の作成の手引き』(以下「手引き」と呼ぶ。)に概略が記載されている。書類の作成に際しては、大学設置室との事務相談を重ねながら修正を重ね、期限までに申請書類を提出する。その後、審議会の審査を受ける過程でさらに追加の書類を作成することとなる。
<設置認可行政と申請法人の威信>
設置認可行政は、日本の高等教育の将来をどう描くかという政策動向と無関係ではない。今後の大学等の質と量をどうするかということが我が国にとって重要であり、そのための大学改革の施策も始まっている。それらの高等教育政策に沿って設置認可行政も行われるのであり、その政策動向が手引きの記載内容にも反映されていると考えられる。
しかし、そうした政策動向が手引きにどう反映しているかという検証は今は置くとして、普遍的に大学等の設置認可を考えるとき、大学等の質を保証するために厳しい審査があることは必要である。カリキュラム、教員数と教員の業績審査、施設設備等に適切な基準があることは、その意味で当然であろう。今でも、設置認可の審査はまことに厳しいものである。また、大学等の設置認可申請は、各大学設置法人がその威信をかけて大学、学部、学科等を設置することを目論み、日本社会にとってそれが必ず必要であるとの確信のもとに行うのであり、その結果は、当該法人が負うのである。
“集合知”ではなく、“個人智”に依拠します。審議会(委員会)における各委員は、散発的なコメントに止まることになります。
<学生確保の見通し等のデータと説明>
平成26年度改訂版の手引きを見ると、認可申請はいうに及ばず、学部等設置や収容定員の変更に係る届出にも「学生の確保の見通し等を記載した書類」を提出することが義務付けられている。これまでも、「設置の趣旨等を記載した書類」の一項目として「学生確保の見通しと社会的な人材需要」があったが、これからは格段にこの事項が重視されるということであろう。
まず、「1 学生の確保の見通し及び申請者としての取組状況」として、「長期的かつ安定的に学生の確保を図ることができる見通しがあることについて、客観的なデータを用いて」説明することが求められている。そして、「客観的なデータ」の例として「受験対象者等へのアンケート調査」が挙げられている。加えて「客観性」を担保するために「回答者の属性を明らかにした第三者の調査、公的機関による調査」など、細かな留意点が例示として記載されている。つまり、メールなどの電子媒体を用いた調査は、回答者がだれか特定できないから認められない、ということである。
<文科省の論理と責任とは>
各大学等の学生募集が順調であった18歳人口拡大期においては、新設の学部・学科等が注目を集め、受験生が殺到した。そして、新設という話題性がなくなってくると、受験生の応募も数年で落ち着いてくるという図式があった。今は、新設の学部・学科等の大半が定員割れするという状況になってきた。文部科学省としては、認可した大学等が計画通りに入学者を確保できないことは、あってはならない事態であると認識しているのであろう。その論理は理解できないものではない。だが、そもそも各大学の学生募集の結果について、文部科学省が責任を問われるいわれがあるのだろうか。
<学生募集の実態と事前アンケート調査の負担>
実態としての学生募集を考えると、どこまで細かな調査をしたとしても入学試験の応募者数は、ふたを開けてみないと分からない。それは、アンケート調査の結果が嘘である、ということではない。その実態を手短に述べてみたい。一人ひとりの受験生や高等学校との直接的な接触なくして、入学者の確保は難しい。設置認可計画中や設置認可申請中に入学の意向を示してくれた受験生のリストは、時間の経過とともに見る見るうちに減っていく。設置認可以前に他大学を受験し合格した受験生は、その大学に入学手続きをしてしまう。そして、設置認可後に学生募集を始める頃には結局定員割れとなってしまうのである。平成26年度改訂版の手引きに示された申請スケジュールの前倒しがどの程度の効果を上げるか、結果を注視したい。
文部科学省によれば、設置認可されるまでは学生募集をしてはならないし、推薦入学指定校の約束などはとんでもないことである。
その一方で、入学者を確保しなければならないし、その根拠となる調査をすべし、という。それが可能であるという理屈がわからない。事前のアンケート調査結果のとおりに学生募集ができれば、どの大学等も苦労などしないのである。また、現場レベルのことを言えば、高校生に直接アンケートすることは、高校の教員や生徒にとって負担になることである。更に、新設の大学などでは、高校とのパイプのないところでそうしたアンケート調査を実施すること自体が困難であるし、結局はそういうノウハウを持っている業者に相当な金額を支払って委託するしかない。それにしても、アンケート調査の実施主体が変わっても高校現場の負担は変わらない。
<困難かつ無用な調査の業者頼み>
さらにいえば、「同分野を有する近隣大学への志願動向調査」が例示されている。この項目を調査することは、高校生へのアンケート調査よりもさらに困難である。どの大学でも、競合する他大学に協力したり、競合することになるであろう他大学の学部・学科に有利になるようなデータなど提供してくれない。これも結局はまた、業者に依頼するしかない事柄であろう。
定員割れすることを想定して大学等の設置認可申請をする法人はない。しかし、その大学等が社会に認知されるためにはある程度の年数が必要である。長い歴史のある大学も、かつては経営が苦しい時期があったのであろう。まして、今は多くの大学が学生確保に苦しむ時代である。もう少し長い目で見守ってほしい。
<4年後の就職先確保の調査とは>
本書類の次は、「2 人材需要の動向等社会の要請」についてである。こちらも、「当該養成しようとする人材に関する社会的、地域的な人材需要の動向を踏まえたものであることについて、各種統計調査、企業・関係機関等への採用意向調査等の客観的なデータを用いて説明」することになっている。4年後の社会の経済状況がどうであるかは予測不能である、といって説明をしないというわけにはいかない。学問分野・専攻によっては、関係企業等への採用意向調査を実施することは可能であろう。しかし、たとえば、「日本文学・日本文化」の学科等を設置しようとする場合、どういう調査をすればよいのであろうか、大学の入口と出口は、大学経営にとって決定的に重要である。就職率や就職先は、学生募集の死命を制する。これを軽視する私立大学はない。だが、大学等の設置以前にその確実な根拠を求められることには大いに疑問がある。
<申請法人の見識と責任に立つ政策を>
私は、これからの日本社会において、日本文学・日本文化や漢文学の素養が必ず必要であると考えている。ただし、それが4年後の就職とどう結びつくのか、想定できない。これまでの日本企業への就職では、まだまだ出身学部を問わない実態がある。理工学系・医療系や保育・幼児教育の学科などと異なり、人文・社会科学系や芸術系学部の就職先予測を事前にどう説明するのか見当もつかない。しかしそれでは設置認可申請をできないことになる。国際・時代状況などの広い視野からの広域的・長期的なマーケティングをすることでは認可を得られないのであろうか。文部科学省・審議会において、至急、一考を求めたい。
学生確保や就職先・就職率は所詮は結果論であって、事前の予測と事後の結果が一致することなどあり得ない。受験に際しての一人ひとりの行動の因果関係を事前に科学的に立証できるのであろうか。大学等の設置認可においては、教育・研究の質を中心に審査すべきであるというのが、私の率直な感想である。 (2014.4.14)